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マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

【再読】ホットケーキとコーラと火星人/「風の歌を聴け」

 未だに分からないことがある。掴みきれないものもある。それは得てして摩耗した刃物であって、僕がそれを振りかざして風の歌を聴くことはない。村上春樹の『風の歌を聴け』はどういう小説なのか。明確に話すことは出来ない。作者と愛まぜになった一人の主人公が、故郷で女と出会い酒を飲み一夏を過ごす。

 あらすじはこのようなものだが、僕はまだまだ含まれている何かがあると確信している。カラカラに乾いている宝石のようにそれはあらゆる角度から光を反射するが、あいにく人間の目は二つしかない。しかもその二つのレーゾンデートルは視野を広げることでなく、距離感を認識することだ。宝石の光は一方向しか望めない。そういう理由で、今回は「風の歌とは何か」を考えるに留めたい。

 風の歌とは何か。本文中には風に関することがらがいくつか登場する。夏の空気だったり、ラジオDJが流す曲だったり、火星人の歌であったり。火星人の話は村上春樹がハートフィールドに言及するシーンから読むことが出来る。村上はハートフィールドをこの上なく気に入っており、人の死とベッドシーンを描かない作者だ、と賞賛している。

 風は彼の作品の『火星の井戸』から生まれる。火星に掘られた無数の井戸を、宇宙をさまよう男が入り込む。横穴を進み、地上へでるとそこには風となった火星人が居た。居たというよりも感じたという方が正しいか。

 君の抜けてきた井戸は時の歪みに沿って掘られているんだ。つまり我々は時間の間を彷徨っているわけさ。宇宙の創成から死までをね。だから我々には生もなければ死もない。風だ。

 風は男に、彼が井戸へ入ってから十五億年が経過していることを伝えた。「君は何を学んだ」と男は風に聞くが、大気が笑うだけであった。途方のない時間感覚を覚えた男は、拳銃を手にして自殺する。

 『風の歌を聴け』のテーマは、戻らない日々への哀愁である。どんな生活を送っていたとしても、喉元を過ぎればマイルドテイストに加工され、セピア色の記憶になる。あのころはよかった、よかったよかった。と誰もが言い合う。

 風は火星人だ。では歌はなにか。そのあたりは単純に、彼らの話す言葉と解釈しておこう。時間を超越した風に向き合って、彼らの言葉を聞く。なんとはなしに意思疎通ができるから不思議だ。君はそこで何を耳にするのか。きれいな音階なぞが存在すればありがたい。適当なメロディーをつけて口ずさめる。

 この小説には前向きなメッセージは何一つ発信していない。松岡修造が夏場に出て来たら、暑いだけでしょう。さっと過ぎ去る風だけあればいい。ホットケーキとそれに注がれるコーラがあればなおのこといい。細胞の間を縫うような、夏の気圧を浴びていたい。

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)