マトリョーシカ的日常

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【書評】量子論を唱えるブッダ/「インド仏教の歴史」【感想】

 お金がないのに、ついつい本を買ってしまう。最近は古本屋にいく暇がないので、新品の本を定価で購入する。「大人になったのかな」と勘違いしそうになるが、懐具合は学生の頃となんら変わりなはい。むしろ少ないくらい。

 『インド仏教の歴史』を読んだ。ブッタが覚醒してから、その教えが各地へ伝播していく様をうまくまとめている。しかし簡単ではない。漢字ばかり書いてあるし、パラドクス的なまわりくどい表現が多くて、読んでいて疲れる。どうしてこう、偉そうな人って難しい表現を使いたがるのだろうね。

 30%も分からなかったけど、面白いと感じたところはあった。アビダルマとかいう単語の書かれているページだ。ブッダが死んでから、信者たちは彼の教えをなんとか汲み取ろうと、彼が残した教典を開いて「あの表現はこれこれで〜」「いや、そうじゃない〜」とやりあっていた。これをアビダルマという。アビは「〜に向って」、ダルマは「法」のことだ。

 法とは法律のことではない。仏教における法は、存在の構成要素を表している。いわば、最小単位だ。

 そうすると、アビダルマとは、存在なり現象なりの基本的な単位を分析していくこと、という意味になろう。

 そう。量子力学である。彼らがやっていたことは、CERNが巨大な加速器を使って、新しい素粒子を発見しようとしていることと同じである。このあたりで、僕は仏教のミステリアスな雰囲気、深遠さを垣間みた気がする。

 しかし、アビダルマは現代の物理学と少し異なるようだ。

 それだけでなく、実に「物」というものも、ここでは解体されざるを得ない。たとえば「りんご」というものを、我々はそういうひとつの個体があると考え、
(中略)
 しかし、前述の法の体系においては、あるのは色・香・触等々のみである。そういう五感の対象が、個々別々にまずあるのである。

 物体があるのではなく、感覚がまずある。あっつい!とか、つめたい!とか、おそい!とか、サラマンダーよりずっとはやい!とかが先に出るのだ。

 現代では唯物論的な教えが多い。数えやすいためだろう。「たかしくんはリンゴを1個とみかんを1個食べました。あわせていくつ?」は1+1と書けるが、「たかしくんはわずかな酸味を感じた。そしてざらざらとしたてざわりを覚えた。あわせていくつ?」はよく分からない。

 原子論をはじめに唱えたのはデモクリトスだった気がする。紀元前460年ごろ。ブッダが死んだのは紀元前400~500年頃。昔はネットも繋がらなかったのに、よく同じことを考えたものだ。すばらしいね。アーメン。

インド仏教の歴史 (講談社学術文庫)

インド仏教の歴史 (講談社学術文庫)

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