助動詞を覚えてなくても古文は読める
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高校生のころ、古典が苦手だった。先生の合間あいまに昔話を挟む授業スタイルのおかげで、大嫌いにはならなかったが、それでもひらがなと読みづらい漢字せいで好きにはなれなかった。たてまつらんって何だよ、敬語の二重の極みもめんどうくさいよ。主語省略しないで。誰が言ってるのこれ。それでもセンターは七割とれた。不思議だ。
何も直球勝負で古典に挑まなくてもいいのではないか。試験を受けるわけではないのだから、先に漫画や、現代語訳を読んで内容を知っておけばいい。
そう思って買ったのがこれ。原文、現代語訳は少なく、代わりに各章の要約が書かれている。
暗唱してイケてる大学生になろう
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる者久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き人もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
かっこいい。意味はわからなくてもかっこいい。七五調により文章がリズミカルに並べられている。日本人は七五調が好きだ。それになんでもかんでもゴロをつけようとする。電話番号に意味をこめるなんて、他の国にはない文化のはず。
あくまで個人主義な日本の戦
ガリア戦記を読んでから、平家物語を読むと戦い方が全く違うのがわかった。古代ローマでも一騎打ちはあったが、多くは定員百人の小隊を一単位として戦況に合わせてシステマチックに配備する。しかしその千年後の日本では「我はなんちゃらかんちゃらのなんちゃら、アタオノコロイノナであるぞ!(うぉー)」とかやっている。時代錯誤も甚だしい。
確か歴史の授業で、その後の元寇の襲来によって日本の戦い方は個人から集団戦法に変わっていったと習った。本当かどうかは怪しいところだが、日本人がスタンドプレーに重きを置いていた時代があると思うと奇妙な感覚を覚える。「誰かのルールに縛られたくはないの。」空気を読むことに長けた現代の日本人とは大違いだからだ。