早朝の洗濯が好きになりつつある。起床とともに洗濯機を回し、彼が動いている間にコーヒーを入れて朝食を食べる。新聞を読んだりしているとぴーぴー言うので洗濯物を取り出し、ベランダへ向う。まだ夜は明けていない。空にはいくつかの星があって、私はそれを確認する。数年前に買ったBluetoothイヤホンをこの前発見した。いい感じに装着する。適当な音楽を聞きながら少しずつ干す。量は多くない。充足感がある。これってなにかと似ているなと思ったら新聞配達に通づるものがあるのだ。早朝の誰もいない空間で淡々と物事を進める。昔からそういうのが好きだったのだろう。多分これは死ぬまで変わらない。
結局カントは全てを否定してしまった。私は否定は簡単で、肯定は難しいと思う。前者は反例がひとつでもあればすぐに判断できるが、後者は全ての事例について深く検討しなくてはいけない。そして時間がかかる。善処する。政治家のようだ。否定ばかりではなにも残らないのではないか、と考えがちだがそうではない。正解の領域を狭めることによって歩みをすすめることができる。何度話したか分からないけれど、伯楽という馬の見分けのプロがいて、彼は好きなやからにはダメな馬の見分け方を教えたようだ。なぜ良い馬でないかというと、世界にはダメな馬のほうが圧倒的に多く、それを掴まなければ普通以上の馬を手に入れることができるからだそうだ。否定は大事なことだ。
現存する世界は、我々の眼前に多様、秩序、合目的性および美などの計り知れぬ景観を展開している。そしてこれらのものを無限の空間に求めても、また空間の無際限な分割に求めても尽きるところを知らないので、我々の劣弱な悟性が学び得た一切の知識をつくしても、世界における夥しい、絶大な驚異に直面しては一切の語言もその力を失い、一切の数もその計測の力を失い、我々の思考すらその守るべき限界を悉く見失うにいたるのである。
我々が全てを知る日は来るのだろうか。いま生きている世界の構造を完璧に理解し、自由に使用できるようになるのか。カントさんなら多分、来ないよと言うだろう。私もそう思う。限りないかっこの無機質なつながりは、合わせ鏡が映す像のようで結構な迷いをもたらす。だけれどもあれから人間はいろいろやってきてこの間宇宙に飛びたった。それは全ての理から見ると薄っぺらい皮のようなものかもしれないが、それでも進化は進化である。シンギュラリティ、特異点の到達も眼前にある。知能の向こうの景色が知りたい。
純粋理性批判(中)の解説はこれでおわり。
下巻は来年のどっかで読む。次は短歌を挟んでカフカ。
Singularity ?シンギュラリティ(特異点)?/ Duke of Pianeet
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