マトリョーシカ的日常

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【書評】ポータブル村上春樹と都市的文化空間の需要について/「フルサトをつくる」【感想】

ナリワイの次はフルサト。

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フルサトをつくる: 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方

 誕生日に頂いた本の紹介はまだ続く。『フルサトをつくる』は、『ナリワイをつくる』の著者である伊藤洋志さんと、スーパーニートのphaさんが共同で書いた本だ。フルサトとは「生存条件のハードルが限りなく低いもう一つの拠点」と本文中で定義されている。今まで住んでいる場所とは別に新たに生活できる環境を整え、「帰れば食うには困らない場所」を作ってしまおうというわけだ。

 こんなにワクワクした本は久しぶりだった。僕の場合、小説以外のハードカバーを読む時は、あらかじめ目次に目を通して大体の内容をつかんでおくのが常だ。しかし『フルサトをつくる』は表紙を眺めた瞬間、「あ、これは楽しい本だ!絶対そうだ」と直感したので話の大枠を掴む前に読むことにした。もったいない気がしたから。

 大正解だった。とても面白い。

アリとキリギリス

 この本は伊藤さんとphaさんの共著であって、一章ごとに書き手が交代している。二人とも同じ大学のOBで共通の友人も多かったそうだが、実際に知り合ったのは卒業した後らしい。なぜ在学中に仲良くならなかったのか、と本文中に書かれているが、僕はそれは仕方のないことだと思う。二人の性格が違うからだ。

 伊藤さんはしっかりものだ。全国床張り協会やモンゴルツアーなど、ナリワイイベントを精力的に開催し、フルサトづくりにも果敢に取り組んでいる。その姿勢は文章にもよく現れていて、彼の担当した章は、家の修繕方法や実際に取り組んだ様子などが詳しく述べられている。

 一方でphaさんは怠け者だ。ひょんなことからフルサトづくりに巻き込まれて、面倒ごとは避けながら、面白そうなことにはちょいちょい関わっている。伊藤さんほどの熱心さはないが、彼なりのマクロな視点からフルサトづくりを論じている。

 アリとキリギリスという例えはおかしいかもしれないが、性質の違う文章が交互に出てくるので、『フルサトをつくる』は飽きずに読むことが出来る。

カフェという都市的文化空間

 良いカフェと良い本屋と良いパン屋、確かにこの3つが揃っていればそれなりに都会っぽい文化的な生活ができそうだ。

 第五章でphaさんは、フルサトにも文化的なスポットが必要だと言っている。何もない田舎に、「漫画喫茶が欲しい」と嘆くphaさんは都会っ子そのものだ。そして挙げたのが上の三つだ。「そうそう、それなんだよ!」と感心してしまった。僕が常日頃、都会的だなー文化的だなーと感じている成分はカフェと本屋とパン屋に凝縮されているのだ。今まではあの感情がどこから来るものなのか分からなかったが、こうして文字に起こしているのを読むことでやっと理解できた。

 そうして理解できたので、カフェと本屋とパン屋に込められている成分を一言で言い表せることができた。ポータブル村上春樹だ。彼の作品にはコーヒーやJazzや本がどっさり出てくる。さらにどれもが一定水準を越えたオシャレ感を醸し出している。コーヒーを入れてjazzを聴き、ときおりパン屋へ再襲撃する。そんな生活がフルサトでできれば、まぎれもなく都市的文化空間はそこに存在している。

 現在は家の中でも、ポータブル村上春樹的全能感が出せるようにと努力している。しかしどうしてもうまくいかない。コーヒーも作業用BGMも、落ち着いて作業ができる椅子と机もあるはずなのに、何かが足りないのだ。うんうんと頭をひねってみると、「あぁ、人が足りないのだな」と気づいた。

 「宇宙はひずんでいる/それ故みんなはもとめ合う」とは二十億光年の孤独の中の一節だ。家にいるだけでは多数の人間の暖かみを知ることが出来ない。みなが僕について無関心であっても問題ない。半径一〇メートル以内に誰かがいてくれれば、見えないシナプスが繋がって、安心したりひらめきが起こったりするのだろう。

おわりに

 ナリワイをつくるのと同様に、フルサトをつくるのは難しい。しかし何もいますぐやらなくちゃいけないわけではない。自分の好きなことアンテナの感度を広げておけば、そのうち否応無しに楽しげな情報は入ってきそうだ。そのころにはフルサトづくりの方法も広く普及しているに違いない。他人任せかもしれないが、僕はそうやって素振りをすることにした。

 改めて、誕生日プレゼント、ありがとうございました。

フルサトをつくる: 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方

フルサトをつくる: 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方