マトリョーシカ的日常

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【書評】社会に押しつぶされた神童、あらがった詩人/「車輪の下」

ドロップアウトです

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車輪の下 (新潮文庫)


 ヘルマン・ヘッセの代表作、「車輪の下」を読んだ。片田舎で生まれた神童ハンスが、神学校で落ちこぼれドロップアウトする様を描いた小説だ。著者自身、神学校を脱走しており、この話には彼の自伝的な意味合いもあったりする。ヘッセとハンスの違いや共通点などの解説が巻末に書かれており、小説と併せて読むことで理解がより深まる。いつものことながら、ブックオフの105円文庫を買った。


ヘッセと自然

 前半部はハンスが田舎の学校から神学校の試験を受け見事パスするまでが書かれている。合格したハンスはいままの勉強漬けの生活から、釣りや森の散策など自然を相手に遊び倒すようになる。そのあたりの描写で、木や花の名前がつらつらと書かれているが、あいにく僕は植物に疎い。しかしながらそれが綺麗だということは分かる。

 森のはずれには、柔らかな毛のある、黄色い花の咲く、堂々としたビロウドマウズイカが長くきらびやかに並んでいた。ミソハギとアカバナ属が、すらりとした強い茎の上でゆれながら、谷の斜面を一面に紫紅色におおうていた。モミの木の下には、高くそそりたつ赤いジギタリスが厳粛に美しく異様にはえていた。

 巻末の解説であの自然の描写は、ヘッセの生まれ故郷カルフの影響があると書かれている。カルフはドイツの南部にある都市で人口は二万三千人ほど。検索してみたらのどかな風景が出て来た。いつか行ってみたい。

カルフカルフ

ハンスとBL

 世界的名作である「車輪の下」だが、ボイーズラブ的描写がある。ハンスが入学した神学校は全寮制であり、女子が出てこないので男子校らしい。著者はとてもまわりくどく表現しているが、「年頃の男子が閉鎖された空間で共同生活をしていたら、まぁ起こることは起こるよね」ということだ。ハイルナーは世捨て人のような空気を纏った詩人であり、勤勉なハンスとは真逆の性格である。しかし二人は惹かれ合い、友達になる。そして。……いやここで引用するのはやめよう。ここはそんなブログではない気がする。気になった人は「車輪の下 BL」などで検索してみてほしい。

車輪の下とは

 さて、タイトルにもなっている「車輪の下」とはどういう意味だろう。神学校の校長先生は、勉強に身が入らなくなってきたハンスにこう警告している。

「それじゃ結構だ。疲れきってしまわないようにすることだね。そうでないと、車輪の下じきになるからね」

 ここからは僕の考えだが、車輪とは何か大きなもの、社会全体のシステムを表していると思う。世の中の一部に組み込まれることを、歯車になる等と表現するが、これは社会という車輪を動かすための部品になることだ。それでは車輪の下とはなにか。そこでは社会とともに動くこともできず、押しつぶされて息絶えてしまう。社会のレールから外れてしまった人間の着地点を車輪の下と表しているのではないか。

 ハンスはついに精神的な病にかかり神学校を退学してしまう。ここから物語次第に流れが変わってくる。

もがく、あらがう力

 
 車輪の下はヘッセの自伝的小説であるが、ハンスとヘッセの違いは何か。

 詩人になりたかったヘッセだが、当時は詩人を養成する教育機関は存在しなかった。もう自分の力のみで詩人になるほかないと決意したのだ。ヘッセは神学校を退学した後、町の機械工として働きながら世界の名著を読破していく。そして書店の店員に転職し詩を書き始める。そしてとある出版社でその実力が認められたのだ。

 車輪にあらがう力がヘッセにはあった。なにくそ、やってやるという意志が。社会のシステムに頼らず、自力で未来を拓いていこうという考えは現代にも通ずるところがある。大学でしか勉強できないことは減ってきた。いまはオンライン講義を行っている大学も増えていて、いづれは大学に行かなくても自分の好きなことが勉強できるようになると思う。大学に行く意味は薄れ、社会は少しずつ変化してくる。そんなとき自分で考えてなんとか動いてみることが必要になる。もがく、あらがうのだ。

おわりに

 長くなってしまった。もうちょっと短い方が読みやすいのかな。