マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

召喚士は通す。ガードも通す。キマリは通さない。

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Photo by nikita velikanin on Unsplash
 文章によって生かされている。フレーズが浮かんだだけで実際はどうかは知らない。少なくても死んでいることはなさそうだ。いくつかの台風とミサイルが頭上を通る間、私はひとかたまりの仕事をちぎっては投げちぎっては投げていた。
 日常を切り取ることは容易だが、思考を切り取ることは難しい。という言葉をいま考えた。この切り取るというのはどういうことか。意識の幅を狭くすることか。なんらかの編集を加えるということか。両方か。なんにせよ、全くのクリアな現象や要素は存在しない。観測者がいる限りそれは観測された事象でしかなく、真の値とかリアルな値ではない。そうやって考えていくと切り取る行為は生きているそれであって、我々が呼吸をしたり心臓を動かすことと同義だった。切り取らないほうが難しい。

 息子が2歳になった。もう2歳なのか、まだ2歳なのか。子供の成長は著しく、毎日なんらかの経験値を得ている。最近は歌ばかりうたっていて、こちらが「うーうーう、ううううーう」と問いかけると、「おっくせんまん、おっくせんまん♩」と返してくれる。誕生日プレゼントでプラレールのレールセットをあげたら、楽しそうに遊んでくれる。自分で列車をつなげられるようになっていて驚いた。

 まだ八月なのか。今年は長い。仕事は異動になるし、家を買うし、子供が育つしでイベントが目白押しだ。本が開けたら資格試験に向けていろいろと準備しなければならない。趣味のほうもちまちま何かしら進めたい。新居は部屋が多いから、自分の書斎が持てる。そこに3Dプリンターを購入してわくわくなものを作りたい。本も読みたいし、文章を書きたい。

 そうやって生きている。