マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

余白と良さとフェルマーの最終定理

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 なにかの拍子で余白を意識するようになった。いかなる立ち振る舞いにもそれ相応の自由度が必要であり、それにはスペースを設けておく必要があるのだった。さいきん文章を書けていないことを逃げていった二月のせいにしたいけれど、どうもそれは違うようだ。日々の生活の中のこまごまとした出来事に追いやられて、私には余白が足りなかった。作らなければならない。どうにかしなくちゃ、と会社の行き帰りに考えているがどうにもならなかった。なぜか。書かなかったからだ。

 サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」を読んだ。一九九四年、数学者のアンドリューワイルズはある難問を証明した。それに至るまでの長い歴史が丁寧に書かれていた。フェルマーの最終定理とは、「x^n+y^n=z^n/この方程式はnが2より大きい場合には整数解をもたない」という定理である。問題は小学生でも理解できる単純なものだ。しかしこれを証明することは大変難しかった。この定理を持ち出したフェルマーは証明方法をすでに知っていたようだが、次の有名な一文によって真相は闇に葬られた。

「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」

フェルマーについて

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 ピエール・ド・フェルマーは一六〇一年にフランスで生まれた。彼は『算術』の影響を強く受けた。これはアレクサンドリアのディオファントスが書いた数にまつわる問題集である。問題集は百を超える問題が掲載されており、どれにも詳しい解説がなされていた。大著はアレクサンドリア図書館の炎上を逃れ、千年の時を経てフェルマーのもとへやってきた。フェルマーは問題を解きながら、コメントや批評を余白に残していた。

 かの有名な定理は算術の二巻目に記されている。フェルマーはピュタゴラス方程式(x^2+y^2=z^2)を眺め、指数を3,4,5...と変形するとどれにも解が存在しないことが分かった。こんなことはあり得るのだろうか、いやあり得る。フェルマーは憎たらしい端書きを残し、数十年後この世を後にした。一六六五年のことだった。

オイラーの答え

 最終定理の証明に向けてはじめの一歩を踏み出したのは、かの有名なオイラーである。レオンハルト・オイラーは一七〇七年にスイスで生まれた。当時の数学者はたんなる数遊び芸人ではなく、砲丸の弾道や惑星の軌道など実用的な計算を行う問題解決人だった。オイラーもその例に漏れず三体問題(三つの惑星が互いに重力を及ぼす場合の位置を求める問題)の実用的な解を発見したりした。

 オイラーはフェルマーの余白メモの中に、最終定理のn=4の場合の証明が隠されていたことに気づいた。その記述のエッセンスは「n=4のときの解が存在すると仮定すると、それより小さな解が無数になければならない。けれどもx,y,zは整数であるから矛盾が生じる」というものだった。オイラーはこの考えを出発点とし、ついにn=3の場合の証明を完成させた。「へへ、やったぜ!」という手紙を一七五三年八月に出している。

ジェルマンの答え

 ソフィー・ジェルマンは一七七六年に生まれの女性の数学者だった。彼女の戦略はn=3などの特定な値ではなく、もっと一般的なnについてひとまとめに証明しようというものである。彼女は2p+1が素数になるような素数pに的を絞った。そうすると、「そのようなnにはおそらく解がない」ことが分かった。解が存在する可能性が極めて低いからである。ジェルマンの方法を使ってディクレとルジャンドルがn=5の場合を、ラメがn=7の場合を証明した。

 こうして勢いがつくと、フランス科学学士院は最終定理の証明に対して三千フラン懸賞金を設定した。その後の会合でラメとコーシーが「じきに証明ができる」と宣言した。あとはスピード勝負かと思われた。しかしながら、クンマーが素因数分解の一意性の問題から論理がおかしい、と指摘する。素因数分解はある自然数を素数のの積に分解することである。実数のみを考えるとその積はただ一組存在する。彼らの証明はその性質に頼りきったものだったが、今回は実数だけでなく虚数も用いられていた。虚数も考慮すると因数分解のバリエーションは無数にあり、一意性が成り立たなくなってしまう。そういうわけで証明は完成されなかった。
 

ゲーテルと解けない問題(不完全性定理)

 十九世紀の終わりごろ、数学者たちは足元を確認することにした。ただ前へ前へ証明を進めるのではなく、我々が使用してきた定理や方法が本当に正しいのかを見直したかったのである。ヒルベルトは「最小限の公理から出発して、とてつもなく複雑な知識体系をまるごと再構築する」という計画を立て実行に移した。プログラムは順調に進んだが、あるとき協力者のバートランド・ラッセルが恐ろしい発見をしてしまった。今までの計画を全て台無しにする矛盾であった。「自分自身を要素として含まない集合の集合はあり得るか否か」。あり得なかった。論理の根底に存在したこの矛盾は、今までの数学を亡き者にしてしまう恐れがあった。ラッセルはその後、集合がそれ自身の要素となることを禁止して、この危機を回避した。

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 しかし、一九三一年にゲーテルが不完全性定理を発表し、「数学は完全ではありえない」ということを証明した。数学にはどんな定理を使っても、答えることのできない問題が存在するということだ。数学も突き詰めると「1+1=2」などの自明の世界へ突入する。当たり前は当たり前なのであって、原因などは分からないのだ。

 もしかして、フェルマーの最終定理は決定不可能なのではないか。そうならば、あの命題は真に違いないと言うことになる。反例を一つ挙げれば終わりにできる。第二次世界大戦が始まると、計算能力は飛躍的に増大した。コンピュータの誕生である。コンピュータはチューリングやノイマンの手によって生み出された。しかしながら、いくら計算量が増えても無限まで数えることはできない。フェルマーの最終定理を証明することはできなかった。

ワイルズと楕円曲線

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 ワイルズは一九七五年にケンブリッジ大学の大学院生となった。彼は幼い頃からの夢だった「フェルマーの最終定理の証明」をいったん棚上げし、力を蓄えることにした。指導教官であるジョン・コーツはワイルズに楕円方程式というテーマを与えた。これは楕円を描くわけではなく、方程式の一つの種類である。このような。
y^2=x^3+ax^2+bx+c(a,b,c:任意)
 この方程式の面白いところは、パラメータを少し変えることで、それぞれに独立した性格の方程式ができることだ。しかも全てが解くことができる問題である。この問題製造マシンはディオファントスやフェルマーを夢中にさせた。フェルマーを好んだワイルズもその例に漏れない。

 方程式の整数解の組み合わせはいくつあるのか。無限まで考えることはできなかったので、数学者たちはある有限な範囲で数字を扱うにことにした。これは時計算術という方式である。59分のつぎは0分であるように、ある数のループをつくるのだ。ループの名前は、有限な数の上限を用いて「~を法とする」と表現する。さきの時計は60を法としている。楕円方程式を解く上で、法を1,2,3...と増やしていきそのときの解を並べたものをE系列と書く。E系列は方程式の情報をよく含んでいた。さながらDNAのようである。ワイルズは楕円方程式でめきめきと力をつけた。

 実はこれより少し前に、日本の数学者が楕円方程式とフェルマーの最終定理を結びつける考えを示していた。コーツはワイルズにこっそりと秘密の武器を渡していたのである。
 

志村谷山とモジュラー

 第二次世界大戦後、日本の数学者の志村と谷山がある予想を提示した。「すべての楕円方程式はモジュラー形式と関係づけられる」というものだ。モジュラー形式とはなにか。一言で説明することはできない。複素上半平面にあるもやのようなものだ。四次元空間に存在する模様あるいは群であり、高い対称性を持っている。移動しても回転しても同じ形になることが多い。

 なぜこんな奇怪なものが楕円方程式と結びつくと考えたのだろう。志村はこのように述べている。

「私は、良さ(goodness)の哲学というものをもっています。それは、数学はその内に良さをそなえていなければならないということです。(中略)たいていの数学者は、自分の美意識に照らして数学をやっているものです。そして良さの哲学は、私の美意識から生まれたものなのです」
p297

 良いことを言っているようだが、私の「なんとなく楽しそう」とたいして変わりはない。美意識や嗜好は表現しにくい。だから、答えを求められたら、こうして煙に巻くしかない。しかし、こうした思想は人間特有のもので、コンピュータには真似することができない。数値化できない「良さ」を求めることは機械に負けない頭をつくることになる。

 一九八四年、フライは谷山=志村予想を証明することは、そのままフェルマーの最終定理を証明することになるという主張をした。彼の主張には厳密性が欠けていたが、リベットがそれを補完した。ワイルズはこのニュースを聞くと、すぐさま最終定理の証明に取り組んだ。

 谷山志村予想は証明されるのか。とても困難なことだった。ワイルズは楕円方程式の知識を駆使してそれに挑んだ。無限にある楕円方程式と、無限にあるモジュラー形式を比較し、それらが同等のものだとしなければならない。

 彼は作戦として帰納法を採用した。これは命題が最初のステップとその次のステップにおいて真であることさえ分かれば、あとは全ての場合において成り立つ、というものである。ドミノ倒しのようだ。強力だが、無数にある楕円方程式をどこかで切り分けないといけなかった。ワイルズはガロアの群論というアイデアを利用した。ガロアはフランス革命後の政治紛争に巻き込まれた悲劇の数学者である。二十歳で殺されてしまったが、彼は五次方程式の解の定式化という偉業を成し遂げた。群論はそのなかで使われた概念である。
 残りのステップはコリヴァギン=フラッハ法を用いた。方法の内容は私にはよく分からなかった。なんにせよ、彼は谷山志村予想を証明したのである。一九九三年の六月に発表をした。証明に本格的に取り組んでから七年が経過していた。しかし、証明は不完全だった。彼は途方に暮れたが、コリギヴァン=フラッハ法が岩崎理論に使えることに気づいた。岩崎理論はワイルズが研究の中盤に試みたアプローチだったが、それ単体ではうまくいかなかったのだ。フラッハと岩崎、それぞれが互いに補ってはじめて完全になった。

 そうしてうまくいった。

どれだけ考え抜けるか

大事なのは、どれだけ考え抜けるかです。考えをはっきりさせようと紙に書く人もいますが、それは必ずしも必要ではありません。(中略)
その問題以外のことを考えてはならない。ただそれだけを考えるのです。それから集中を解く。すると、ふっとリラックスした瞬間が訪れます。そのときに潜在意識が働いて、新しい洞察が得られるのです
p323

 数学者は世界で最も考える人種なのではないか。三次元や二次元ではイメージできない抽象的な表現を操作し、新しい問題を解く。本を読んでからwikiで数学のことを調べてみたが、ほとんど理解できなかった。もはや哲学の領域である。そういえばデカルトは方法序説の中で「全般にわたって、自分は何ひとつ落とさなかったと確信するほど完全な列挙と、広範な再検討をすること」を自身の準則としていた。考え抜くという動作はただ考えることはとは違い疲れそうだ。

 フェルマーもワイルズも余白が不要な人だったのだろうか。フェルマーは余白が足りなくても継ぎ足して証明を書こうとはしなかったし、ワイルズは「紙に書くことは必ずしも必要ではない」と語っている。考え抜くことは別に余白がなくても可能らしい。いったいどこに自由度を設けるのか、と私は不思議に思ったがそんなもの数学者には必要ないのかもしれない。彼らは二次元平面上に絶対に収まらない高次の世界に住んでいる。虚数のような概念の世界だ。そこに物はなく、純粋な思想のみがある。

 最近、AIのニュースがよく流れている。人工知能がより力をつけて生活に完全にとけ込めば、私たちは考えることをやめるだろう。しかし、それでも数学者は何かしらの問題に頭を悩ますのだろう。その理由は「楽しいから」に他ならない。彼らはそのような美しさや良さとも呼べる意志に突き動かされる。数値化できない意志はAIには理解できないものだ。えっへん。

 

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

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