やたら長い一週間だった。金属をひたすら削っていた。正確に言うと、金属が削られていくのをひたすら見守っていた。私が取り扱うステンレスは難削材と呼ばれる、削りにくい材料である。しかし、わたしは今までステンレスしか加工していないので、他のS45Cとか鋳物がどのような挙動を見せるのか知らない。比べられることが出来ないのだから難しいもなにもない。そんなことばかりしていたので、帰り道にそびえるアパートメントを見て、「あれはG02の円弧切削で出来上がったものなのでは」とありもしないことを考えた。ピーちゃんは相変わらず元気そうだった。
先日、Letter from Kyotoの川添(id:kkzy9)さんと話をした。Skypeでの通話が途切れとぎれになる不具合が発生し、先方には迷惑をかけたと思う。私は喋るのが苦手だったので、お酒を飲み、口のまわりの筋肉をほぐすことにした。しかしあまり効果はなかった。投稿された対談を聞くともっといろんなことを話していた気がするが、ほとんどのことを覚えていない。
それでもいくつか補足をしようか。ハンドルネームの局長だが、あとで調べたら新撰組の近藤勇は隊長・組長ではなく局長と呼ばれているらしい。詳しいことはここに書いてあった。あまり読んでいない。新撰組の「局長」という役職名について - 歴史 | 教えて!goo
なんとなく星人の私に対して、川添さんは「『なんとなく』でなにかを始めることができない」と語っていた。すげぇな、哲学者だな。それでもこのyoutubeの対談を始めたきっかけを聞くと、「他人がやってること面白かったら自分もやってみたい」からはじめたと答えていただいた。なるほど。もしかしたらそれも『なんとなく』というあれじゃないだろうか。まぁいいや。
「なぜ本の内容を覚えていないのに本を読むのが好きなのか」この問いの答えをいろいろ考えてみたが、なんとなくとしか言いようがない。ただ、本は覚えるものではなく、発酵させるものだと思っている。いや、「思っている」ではなく、そう思うことにした。本はぬか床へぶちこまれる。
だから自分の記憶の上澄みに残っていなくても、潜在意識のなかには確かにそれらが存在しているはずである。それは登場人物の言葉だったり、ストーリーに出てくる世界観であったり、教養的な知識だったりする。複数の本を読むことでそいつらは有機的に混ざり合い、私が考えるのをやめても発酵しはじめる。そのぬか床からなにを抜き出すかは私次第だが。
最近読んでる本は本当に意味が分からない。しかし意味が分からないから楽な部分もある。適当にぬか床につけておけばいいんだ。と投げやりになれる。あとは微生物たちの働きに期待しておこう。所詮上澄みで得られる程度の知識なんてGoogle先生に聞けば答えてくれる。大切なのは自分の中に言葉をやたらめたらに放り込むこと。あと十年くらいたてばGoogleはヴァリスになって、全ての知識を有する神様になるだろう。それに対抗するザップガンはなんとなくで放り込まれたぬか漬けなのである。味はとくに気にしない。
こんな感じで感想はおわり。
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