円周率をどのように求めるかを研究するにつれて、円周率そのものが何であるかも分かってきた。ギリシアの三大難問のひとつに円積問題がある。これは「与えられた円と同じ面積をもつ正方形を定規とコンパスだけで描けるか」というものだ。
定規とコンパスだけで正方形を描けるのは、一辺が有理数であるか、または平方根を含む分数式であることを示している。一方で、半径1の円が与えられたとき、円と同じ面積の正方形は一辺がである。つまりこの問題は「円周率が有理数であるか、また有理数でなくても平方根の含まれた分数式であるか」と言い換えることが出来る。円積問題とは、円周率がどのような数であるかを考える問題になった。さらに問題は「円周率が整数係数、有限次数の方程式の解であるか」と置き換わる。「解はない」と答えたのはドイツのリンデマンだった。これにより、円周率は超越数であることが証明された。
巻末では長さについて論じられている。長さとは一体なんだろう。ピタゴラスは長さを点の集まりと表現と表現したが、ゼノンの「アキレスと亀」によってそれは否定される。知っている人もいるかもしれないが、アキレスと亀は次のような話だ。足の速いアキレスと亀が競争をする。亀はアキレスより少し前の位置におり、二人は一斉にスタートする。亀がいた位置にアキレスが到達したとき、亀はそれより若干前に進んでいる。またアキレスがその位置に到着すると、亀はそれよりもほんのわずかに前にいる。これが延々と続くので、アキレスは亀に追いつくことができない。これが「アキレスと亀」のパラドクスだ。
何かがおかしいと感じるはずだが、それを明確に表現することは難しい。この話では空間を点の集合ととらえる考え方を否定している。アキレスと亀が無数の飛び石の上をぽんぽんと跳ねているのではなく、連続な直線の上を継ぎ目なく走っているイメージを持たなくてはいけない。つまり、長さは連続体である。
数学がこのように発展したのは、何の力によるのでしょうか? いろいろないいかたができるでしょうが、習慣や他人の説などにとらわれない、
自分で自由に考える力
というのもひじょうに大切です。
おわりにで筆者は上のように述べている。今、定まっていることをうのみにせずに、オリジナルの仮説を立てて検証してみることが重要なのだろう。科学は事実の集合体ではなく、仮説が定説を飲み込んできた物語にほかならない。
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