最適なソリューションなんてどこにもないのかもしれない。僕らが求めているのは答えよりも問いそのものであって、空が青い理由を知ることよりも、青い空を眺める余裕を持つことのほうが重要だったりする。そんな休日だった。
先日、WIRED Vol.15を買った。特集は「ワイアード×デザイン」で、デザインについて25の小話が入っている。デザインなんて色彩感覚が豊かでファッションに敏感な一部の人が気にかけるべきだと考えていたが、実際はそうではないらしかった。デザインというのはもっと普遍的な何かであり、意識せずともさまざまなひとが関わっている。
ページをめくるたびに「おや」と手が止まる。どのページも全体的に綺麗だからだ。別にビックリマンシールのようなキラキラ加工はなされていない。(地が金色の所は読みにくかったが。)それはきっと写真の構図やレイアウトの比率や色が原因だ。人間の本能に直接とどくような何かがびっしりと詰まっている。幼い頃実家で見た夜空の星に少し似ていた。
冒頭の話に戻ろう。小話の中では、問いのデザインという言葉に惹かれた。
多くの人が、デザインとは課題を解決するものだと理解している。もしくは、美学的な問題を解決する手段として考えている人も少なくない。しかし、デザイナーは人口増加や水不足、地球温暖化など、世界の諸問題を解決する人ではない。むしろ、世の中の価値や信念、態度を疑って、さまざまな代替の可能性を提示する役割を担っているのだ。
スペキュラティブデザインというアイデアが紹介されていた。スペキュラティブ(speculatibe)というのは思索的なとか推論的なとかそんな意味だ。解を見いだすためのデザインではなく、問いを生み出すようなデザインのことらしい。こいつはこれだ!と決めつけるのではなく、こんなのできたけどどうかな?という柔らかいニュアンスで世界に語りかける。楽しそうだ。文中には9年前、無料Wi-fiを開放し、黄色い椅子を自宅の前に置いた人の話が書かれている。別に椅子を置く必要なんてどこにもないのだが、そうやってスペースを立体的に設けておくアイデアに美的センスを感じる。
「だからどうなの」と聞きたいだろうが、結局のところ「どうでもない」のだ。きっと僕らは答えを求めすぎていたんだ。もはや答えなんてそこらじゅうに溢れていて、全体的に価値が薄まってきている。これからはその答えをどう扱うか、どう捉えるかが重要だ。さらに、答えではなく新しい問いを提示できることがもっと重要になってくる。
僕も文章を書き、ものをつくることで問いを生み出していきたい。
こんなのとか。
関連
イノベーション雑誌 「WIRED Vol.12」次世代のコーヒー特集が想いの外よかった。 - マトリョーシカ的日常
思わず線を引いてしまう雑誌なんて、WIREDくらいだ。 - マトリョーシカ的日常
- 作者: Condé Nast Japan (コンデナスト・ジャパン)
- 出版社/メーカー: コンデナスト・ジャパン
- 発売日: 2015/03/10
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る