マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

丸投げという名の信頼はローマから/「ローマ人の物語22」

 ヴィテリウスの死後、皇帝となったのはヴェスパシアヌスである。しかし、本書では彼はあまり表に出てこない。西方のガリアの反乱は筋肉むきむきムキアヌスに、東方のユダヤ戦記は息子のティトゥスに任せていた。本人はエジプトでじっくり待機。ほとぼりが冷めてからローマ入りし、ケチケチと財政を立て直し、病で倒れるまで皇帝の業務を全うした。七十歳だった。

 ざっくり要約してしまうと以上の文面で終わってしまうが、もう少し書き続けようか。

 良いリーダーは必ずしも高い能力を持っているわけではない。確かに読み書きそろばんに優れていて頭の回転が早いほうが良いに決まっているが、それはあまり統治能力には寄与しない。カエサルが出来すぎた。「指導者に求められる資質は次の五つである。 知性、説得力、肉体上の耐久力、自己制御の能力、持続する意志。 カエサルだけが、このすべてを持っていた」。一人で全て出来る人はほとんどいないので、大抵は自分にない能力を外注する。アウグストゥスは軍事能力をアグリッパに託したし、ルフィは航海術をナミにアウトソーシングした。それで良いのだ。

 ならば本当に必要な資質とは何か。人に好まれることだ。これは親しみやすいとは少しニュアンスが違う。上に立つ者としての尊厳は残しつつ、部下が助言しやすいようなスキを有することだ。市長がガラス張りの部屋で仕事をしたり、政治家がニコニコ生放送に出演するのは、きっとそういうスキを意識的につくっているのだろう。リーダーの資質がある人はそんな努力をしなくても良い。にじみでるスキ、あふれる愛嬌、ときおり飛び出す笑いのセンス。リーダー伝たけしのような存在だ。

 西洋音楽にシンコペーションという用語がある。強拍と弱拍の配置を入れ替え、ほどよい緊張感を生み出すことだ。リーダーは常に強くある必要はない。時には部下と強弱関係を逆転させてみるのも面白い。それは互いの信頼を生み、組織全体が潤滑に動く。ヴェスパシアヌスは人に好まれた。そして彼は人を好きだったに違いない。与えつづければ、絶え間なくもらうことができる。彼自身はさほど強くなかったかもしれないが、シンコペーションのおかげで穏当な政治を進められたのだ。

ローマ人の物語〈22〉危機と克服(中) (新潮文庫)

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