マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

情報を統御させる唯一の存在が『ヴァリス』なんです。

 まとまった文章を書こうとするからペンが進まなくなる。正面きって対峙しようとした俺が愚かだったのだ。良い本は一口大に切られることを許されない。巨大な一枚岩のように泰然とそこへ居座る。俺ができるのは魚眼レンズを持ってしても捉えきれないパノラマ写真を撮影することのみだ。

 Fillip K Dickの『ヴァリス』を読んだ。ファットの狂った精神は、グロリアの自殺によりさらに乱れる。彼は独自の世界観を日誌に書き連ねた。世界は非理性的なもので満たされていて、創造主である神様はイカレている。ここには現象界は存在せず、あるのは精神が処理する情報のみである。

 31. われわれは情報を実体化させる。物体の再配置は情報の中身の変化だ。メッセージが変えられる。これはわれわれが読む能力を失った言語だ。われわれ自身がこの言語の一部だ。(後略)

 ファットが唱えるイカレた世界説は、彼の精神構造が深く影響しているのは言うまでもない。「自身が散々な不幸に見舞われているのは、世界が根本的におかしいからであり決して自分のせいではない。」彼はそう決めつけて事象を肥大化させ、個人的なことを普遍的にしようとする。作中で彼は「ディック」と「ファット」の二人に分裂する。(人格が分裂し、ディックから見たファットを描く体で文章が書かれている)。これもメタ視点で語ることで普遍化を図ろうとする彼の潜在意識からか。しかし、ファットは『ヴァリス』という映画を観る。自身の世界観が映画に反映されていることに驚く。友人には話していたが、世間に公表したことはなかったからだ。映画の秘密をさぐるため、彼は制作者との接触を試みる。

 ヴァリスとは巨大活性諜報生命体システムで、神よりも神的なイデアだ。それはいつでもどこにでも存在しており、あらゆる物質にメッセージを投げかけている。全生命体のプロットはそいつが作っており、われわれもその中の登場人物にすぎない。以前神話の記事を書いたときに、「運命の女神は神よりも強い」と言ったがヴァリスはまさにその運命の女神だった。遍在ではなく一固体として中枢を置くところは西洋的だと思ったが、汎神論の神々にもそれを統合させる何かが潜んでいるかもしれない。

 そういう理由で(どういう理由かは分からないが)世界を構成しているものは物質ではなく、自己ではなく、情報そのものという結論になる。情報を実体化させることで現象界(みている世界)が出来上がる。

 『ユービック』や『偶然世界』みたいな引き込まれるSF小説を期待して読んだが、そのような要素は『ヴァリス』には存在しない。神学と文学と量子力学の洪水に巻き込まれただけだった。この本は全部読んではいけない。時間がかかりすぎるからだ。あとがきとトラクタテに先に目を通し、ざざっと断片的に筋書きを追っていく方がいい。それでも危険だが。