素晴らしい道具ほど、その姿を見ることができない。買ってよかったと思えるものは、実はそれまでの価値しかなく、真に優れたそれは私の気づかないところで生活を回している。借り暮らしのアリエッティのように。しかし、彼女がおりなすキテレツ具合のさじ加減と、ジョーマクモニーグルの新たな秘宝、ならびに全国民につげるワンダーワンダーが同等の位を与えられたとき、私はかろうじて月を見つけることが出来る。カスタムヘリテイジ91のように。
「(万年筆の)帝国は終わっていなかった」
それに出会い私の生活が激変した、などということは決してない。起床、労働(勉学)、食事、就寝のサイクルはくり返され、今日もちらちら日が沈む。ペンを走らせる一画やブールブラックの一滴に期待してはいけない。彼らは私をどこへも連れていかない。しかし、化学反応に介在するプラチナのようにそれは日々の思索を加速させた。なぜなら思索には脳内のマントルピースを発射させる必要があり、テキストによる出力はその圧縮率が異様なまでに高いからだ。
テキストは驚くべき力と効率性をもっている。それは最も訴求力があり、最もアクセシブルなメディア形式だ。読み書きができれば、誰でも意味あることを表現できる。
EVAN WILLIAMS (WIRED VOL.14 p114)
万年筆による作業はそれに楽しさを付け加える。
それは書くという行為を指先とペン、ペンと紙の作用反作用の原理まで落とし込む。ペンの停止がコンマ一秒長いだけでにじみは確実に拡大し、払いが一ミリ向こうへ飛ぶだけでインクは遥か向こうへつたう。繊細な挙動によって私は常に意識する。一つのセンテンス、一つの単語、一文字一画を。存在していた言葉は分解され、ふたたび構成される。それは以前のそれではない。リバースエンジニアリングによってネジ穴をひとつ、ピンのひとつの在処や径を知り得たかのように、言葉は自分のより深いところへ浸透する。
人間に見られた借り暮らしは引越を検討する。万年筆もそろそろ私の顕在意識から離れる時が近づいたようだ。さらばカスタムヘリテイジ91。期が満ちればまた顔を出しておくれ。角砂糖のひとつやふたつ、月にタッチするなんて、訳無いさ。
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