コーヒー日記。
昨日、コーヒー豆がamazonから届いた。パッケージを手にしてにやにやしていると、「クリスマスプレゼントを持っている少年のようだね」と言われた。そうかもしれない。緑色の包装に赤いコーヒーの実が描かれているデザインは、考えるとクリスマスカラーだった。サンタさんはヤマトと佐川。
今朝も早く起きる。早朝の一時間は、深夜の三時間分に相当するほど感度が高くなる。そんな気がする。はじめの一杯を飲む時は、どうしてこうもわくわくするのだろう。パッケージを開けて、スプーン一杯分の豆を取り出す。粒が整った豆は、いつも飲んでいてるそれよりもキラキラと輝いていた。それらを手動ミルの中へ入れて、ゴリゴリと挽いていく。リビンクと寝室のドアを閉めておくことも忘れない。このミルは今年に入ってもらったものだが、大分ガタがきていてしばしば持ち手のネジが外れる。新しいのを買いたい。
あらかじめお湯で暖めておいたカップにプラスチック製のドリッパーを載せる。コーヒーフィルターに丁寧に折り目をつけた後、口を広げてドリッパーに装着する。さきほど挽いたコーヒーの粉をトントンとフィルターに入れる。だいたいテーブルの上に粉が落ちるのでティッシュできれいにする。そのころには電気ケトルで沸かしたお湯も、いい温度になっている。慎重にお湯を入れる。そうして僕はコーヒーをつくる。
ほどよい酸味と、深めのコクがあった。空っぽの胃袋にどくどくとカフェインがそそがれていく。本来はどっしりとした気分になるのだが、今回はそれがどこか爽やかで実にフレッシュだった。朝日が昇る。
傾向を伴わない行為
さて、義務の話だ。社会の時間に日本人には三つの義務があることを学んだ。勤労、納税、教育。これらはやらなくてはいけないことなんですよ、と先生は言っていたけどカントの考える義務はもう少し別のものらしい。
かくべつ傾向性に刺戟されたわけでもないのに、自分でこういう甚だしい無感動状態から抜け出て、およそ傾向性にかかわりなく、ひたすら義務にもとづいて行動するならば、そのときこそ彼の行為は、正真正銘の道徳的価値をもつことになるのである。
傾向にもとづかず、道徳的価値をもつ行為が義務なのか。義務とは「めんどくさいけど仕方がない」と考えるものではなく、「気がついたらずっとやってるわ」という行為なのかもしれない。歯磨きがそうかと一瞬思ったけれど、それに道徳的価値がつくはずがないので却下する。木を植え続ける男の物語をどこかで読んだ。ひたすら植木をして死んだおじさんの話。彼がもし植林作業に一種の使命感を感じていたなら、そいつはきっと義務ではないのだろう。朝起きて夜寝るまでのルーチンの中にしっかりと組み込まれていて、絶対に忘れることがない不断の行動ならば義務だ。
しかし、人は本当に義務を義務としてとらえているのか。普遍的法則の上澄みには、一人一人の人間性とかいやらしさが残っていないのか。そこらへんのことを書きたい。来週くらいに。
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