所属とレイヤー、弱さとピンボール
君はどこに所属しているのか。レイヤーはどれなのか。細いのか太いのか、色は何色で印刷は可能なのか不可能なのか。それだけが問題であった。ただ広いオフィスで、黙々と画層管理をしていた。CADは学部生のころにやっていたが、二年間の空白があったことと、最新バージョンはデザインがまるで違うことが原因で、非常に苦労した。なんとか残業をせずに帰ることが出来た。すれ違う営業の方々に「お疲れさまでした」を言うのがとても申し訳なくて、僕は素早くタイムカードを押すわざを繰り出した。
外は雨が降っていた。ぽつりぽつりと降っていた。傘を持ってくるのを忘れていたが、別段どうってことなかった。濡れたアスファルトを一足ひとあし踏みしめて駅へ向った。道路向こうのコンビニには、小学生たちが雨宿りという名目で店先でアイスを食べていた。歩道に目をやると、部活帰りの中高生が自転車を走らせていた。おおげさなバックには青春がつまっているのだろう。どうでもいいことを考えていると、いつもの駅についた。いつものように定期券を出し、ピっとやってシュッと抜けた。階段をのぼり、灰色のプラットホームについた。
ちょうどいい具合に電車がやってきた。
ぼくって、ものすごい臆病者なのさ。でもね利口だから、誰にも気づかれないようにしているんだ。ぼくはさ、勇気がないからって、特別に悩んだりしない。恥ずかしいとも思わない。それも、また、ぼくが利口だからなんだ。どんな人間にも欠点や弱点がある、ってわかってるからさ。その欠点を気づかせないようにする、ってことだけが問題なんだよ。
『飛ぶ教室』は何度も読める名作だ。その言葉は裏を返せば、何回言及しても問題にならないワイルドカードの立ち位置を持つ本、ということを意味している。賢い少年は、自分が弱さを隠していることをみなに明かす。彼の発言をさらりと読む限り、淡々と事実を話しているようにみえる。しかし、若い時期から「欠点を気づかせないようにする」なんて芸当を身につけているのは、やはり寂しい気がする。もっと素直になればいいのに。
しかし、はたと自分を省みるとそれほど簡単な人間ではなかった気がして、自分が徐々に大人へ移行しているのを感じる。小学生のころはブランコで、中学生のころは屋上で、だいたい一人で考え事をしていた。何を考えていたのかは覚えていないけど、当時のぼくにとっては重要なことだったのだろう。
シームレスに生きて来たはずが、ところどころに節があり、それ以上過去を見えれない宇宙誕生何光年の壁が出現する。それを復元する方法は存在しない。あるのは恣意的な編集であって、意図的な改変であって、分析ではなく統合だ。
家に帰ると以前契約したSBIカードが届いていた。各種の暗証番号はしばらくしたら書類で届くらしい。これでpaypalアカウントが作れるぞ。今日はエヴァがあるし、明日から休みだしいいことづくめだ。
関連記事
【書評/感想】少年時代にも苦しみはあった/「飛ぶ教室」 - マトリョーシカ的日常
【再読】あやふやなクオーツ/「宇宙はなにでできているのか」 - マトリョーシカ的日常
- 作者: ケストナー,丘沢静也
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2006/09/07
- メディア: 文庫
- クリック: 15回
- この商品を含むブログ (82件) を見る