にのうでが悲鳴をあげたので、彼は第三のうでをだしてきた。遺伝し組み替えでない素材でできていて、ダイヤモンドよりも堅いらしい。らしいというのは僕がダイヤモンドを知らないからで、人に聞いたら笑われた。そんなものも知らないのって。いや、誤解しないでほしい。僕はダイヤモンドの存在には気づいていた。よく机の上で寝てるなあという程度の認識で。しかし、それとその特性を把握していることとは別だ。逆にこちらから尋ねて回りたいものだ。君はダイヤの原石なのかって。
第三のうでとは天津飯的なあれであって、直接は眼でみることはない。だが誰でももっていて常に32℃を維持している不思議な器官だ。レベルの高い人は手で触れることが出来て、よくゴリラを召還したりする。ゴレイヌさんがそれだ。そのうでを使うと様々なことが可能になる。様々なことというは個人によって大きく違いがあるので、一概には何とはいえない。それでも彼女は二段ジャンプやためうちができるようになったという。
残機の概念が現実世界にあるならば、躊躇なく命を投げ出せる人がでてくるのだろうか。穴に落ちたり壁につぶされたりしても、すぐにその場所からコンティニューして、立ち向かって、やっぱりだめで。そんな繰り返し作業の中で少しずつ少しずつ前に進んでいく。果たしてできるのか。私たちは挑戦できるのか。意識高い系になりえるのか。不思議なソサエティとともに歩んでいく自身はあるのか。青春の炎は熱く燃えているのか。
問いを投げかけるのはもうよそう。なにをしようとも机上の空論にすぎず、理論値の幅をはみ出すことはない。そんなことより踊りませんか。