マトリョーシカ的日常

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【書評】死に至る病とは、現実と理想のズレに苦しむ、永久不滅の絶望そのもの。/『死に至る病』【感想】

非常に読み応えのある本。

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 キェルケゴールの『死に至る病』を読んだ。以前、『自殺について』の書評記事を書いた際に、id:netcraftさんからリクエストされてた本だ。非常に読み応えのある本だった。全体の文章のうち、理解できた箇所は10%程度かそこら。何度読んでも分からない。それでも、ぐぐっとくるところはぐぐっと来たし、バリバリとなった。10%分の中身を紹介しようと思う。

 本書は二部構成になっている。はじめに死に至る病、つまり絶望が何かを定義し、それを細分化していく。つぎに絶望と罪の関係について、ソクラテスの罪の定義も交えながら論じている。キェルケゴールはキリスト教徒であるのだろうか、全体を通してキリストの言及が多い。「〜なんですよー。ところが、キリスト教なら!」と押し付けがましいくらいだ。youtubeの始めに出てくる広告のよう。

絶望とは死に至る病である。

 絶望とは死に至る病である。これさえ唱えておけば『死に至る病』を知ったげに語ることが出来る。しかし、注意してほしいのはこの病は死ぬ病ではないということ。絶望とは死そのものではなく、死に至ることなのだ。墓場に入ることはそこに安住することであり、停止することであり、ひとつのゴールだ。死にそうなくらいの痛みや苦しみが延々と繰り返されること、これが死に至る病だ。

 死が希望の対象となる程に危険が増大した場合、絶望とは死にうるという希望さえも失われているそのことである。
 さてこの究極の意味において絶望は死に至る病である、(以下略)

 このあたりは、ダンテの『神曲』で見られる地獄の光景が引き合いに出される。悪人たちが地獄で受ける裁きには終わりはない。どれもが永続的な苦しみをもたらすものだ。

 ここから本書は絶望に対する細かな分類分けがなされていく。文章が込み入っており理解するのが難しいが、目次に目を通すと分かりやすくなる。

絶望の細分化
  • 意識を考慮しない
    • 無限性と有限性との関係
      • 無限性の絶望:GIGAZINEに陥る
      • 有限性の絶望:発言小町に陥る
    • 可能性と必然性との関係
      • 可能性の絶望:フリーランスになる
      • 必然性の絶望:社畜になる
  • 意識を考慮する
    • 自分が絶望の状態にあることを知らない:絶望的な無知
    • 知っている
      • 自己自身であろうと欲する:ひきこもりになる
      • 自己自身であろうと欲しない:自分探しの旅へ出る
絶望とは

 いろいろと細かい分類はあるが、絶望の根源は同じだ。それは理想と現実のギャップに苦しむこと。「こうなりたいな」「あれ欲しいな」という理想に現実に手が届かない時、人は絶望に陥るのだ。これは精神的な病であって、いつ何時私たちを襲うか分からない。むしろ幸福な事態に、彼らは潜んでいるのである。(cf:マリッジブルー)

絶望とは罪である。罪とは絶望である。

 さて、二部では罪と絶望に対して筆者の意見が述べられている。罪は本文中で以下のように定義されている。

 ——罪とは、神の啓示によってどこに罪の存するかが人間に明らかになされた後に、人間が神の前に絶望して自己自身であろうと欲しないことないしは絶望して自己自身であろうと欲することである。

 換言すると、「罪とは、パーフェクト超人に『お前と俺の差はこれほどあるぜ』と諭された後に、人間が超人と自分とのギャップに絶望して、自分探しの旅へでることないしはひきこもること」となる。

 絶望の定義と似通っているが、重要な点はパーフェクト超人の存在である。キェルケゴールは超人、つまりキリストを絶対的な尺度として、罪と絶望の関係を論じている。

 キリストはそれはもう、何でもできてしまうすごい奴だ。フルマラソンも光の速さで走れるし、百マス計算も瞬時に解ける。「さぁ、みんなも神になろう!」とキリストは檄を入れるが、だれも彼のように天才でも超人でもない。当然、その尺度を満たせる人間はいない。得てして、人は絶望するのである。

 キリストの存在以外に、絶望と罪の定義を分つものがある。それは意識だ。筆者はソクラテスが唱える「無知の罪」に言及し、彼らギリシア人が人間を買いかぶっていることを非難する。人間は悪い奴なのだ。

 チリンチリーン
キャスター「そこが駐輪禁止区域であることを知っていましたか?」
自転車利用客「いやー知らなかったですーごめんなさいー」

 黙れ! 知らなかったとは知ろうとしなかったからだ。「彼が正しいことを理解しなかったのは、正しいことを理解しようと欲しなかった」からだ。

死に至る病を消し去る方法

 このような病をなくすにはどうすればいいのか。キェルケゴールは信仰をすることだと唱える。彼は罪の反対は信仰だとし、信仰することで罪(躓き)から逃れることができると言う。

 絶対に何等の絶望も存しない状態を示す定式を掲げておいたのである、——自己が自己自身に関係しつつ自己自身であろうと欲するに際して、自己は自己を措定した力のなかに自覚的に自己自身を基礎付ける。この定式は、既にしばしば注意されたように、同時に信仰の定義でもある。

 ……キェルケゴールは宗教おじさんなのかな。

 おわり。

死に至る病 (岩波文庫)

死に至る病 (岩波文庫)