精神病棟で目が覚めた主人公は、自身が記憶を失っていることに気づく。主治医である若林によると、自分の記憶を取り戻すことが、ここ九州大医学部の名誉回復にもつながり、はては怪事件を解くきっかけにもなるのだとか。
もう少し詳しく。若林の前任の正木先生は「狂人解放」に取り組んでいた。当時、得体の知れないものだった精神病にメスをいれ、原因をつきとめ、病を治すという試みだった。
しかし、その斬新な構想は時代に受けいられなかった。彼のおかしな論文も原因なのだが。
結局、正木先生は自害し、研究の書類を処分した。残されたのは意味のわからない散文の数々。「あなたの記憶の手がかりはここにあります」と、若林は主人公にそれを託す。
とまあ、あらすじはこんなところだ。
偏在する
読みにくい話ではない。無駄が多いが、筋はしっかりしていると思うし(僕の読解力が正しければ)正木先生が言うこともおかしくない。上巻は、彼の著作を主人公が読みふけるシーンを皮切りに、したらめったらな文章が続く。
気になったのはここだ。
……物を考えるところは脳髄ではない……
……物を感ずるところも脳髄ではない……
……脳髄は、無神経、無感覚の蛋白質の固形物に過ぎない……
われわれの精神……もしくは生命意識はドコにもない。われわれの全身に到るろこにみちみちているのだ。
遍在の精神は、昔からあった。神は細部に宿るとかなんちゃら言うが、どちらかというと西洋よりも東洋らしい考え方だ。超越的な存在を超えた何かが、中央統制的に指令を出していると、脳髄の可能性に懸けるのは僕の頭はあまりに幼い。それは伝達のハブをなしているだけであって、それぞれがそれぞれなりに意志を持っていて、各々のやりたいようにやるだけなのだ。
人間は一人ではない。否。一人は一人ではない。カブシキガイシャ自分であり、社会としての自分がそこにいる。資本主義であって社会主義ではない。ビックブラザーではなく、偶然世界ではない。あまねくの言葉の端々に「ドグラ・マグラ」を感じたくなる。
しかし、ここから下巻へどうつながるのか。主人公の名前は何なのか。彼が関わった犯罪は何か。正木先生の自害の真相は。いまだつかめない。
短いがここまで。