かゆみと痛み
ある朝、id:kyokucho1989がなにか気がかりな夢から目を覚ますと、自分が寝床の中で一匹の蚊に足を刺されているのを発見した。かゆい。
かゆみは微弱な痛みによるものらしい。僕はタンスに小指をぶつけるたびに、神が人に痛覚を授けたことを恨むが、これはこれでわりと重要なものだ。痛みを感じない人間は体をダメにしやすいし、他人の痛みを感じることができない。生きるには痛みが要る。
対して、ロボットはなにも感じない。オイルが切れて錆び付いても、おかしな音を出しながら猛烈なスピードで動く。油をさしてやるのは人間の役目だ。チャペック著の『ロボット』において、ロボット会社の社長のドミンは、彼らについてこう言及している。
ロボットたちは生きることに執着していないのです。そもそも何のために生きるのかを知らないし、生きる喜びを持たないのです。あの連中は雑草以下なのです。
ただモーターの駆動に任せて動く彼らは、何も考えずに生きる。いや、そもそも生きていないのかもしれない。
ロボットの語源となった作品
『ロボット』はチェコの作家カレル・チャペックによる戯曲である。今日のロボットの語源となった歴史的な作品だ。ロッサムが考案した安価なヒト型労働機械は、全世界に普及する。人間が行っていた労働はロボットが肩代わりして、人間たちはより暮らしやすく、便利で楽な生活を営もうとしていた。
しかし、ある日一人の技師が内蔵した「けがを予防するためのオートメーション装置」によって、ロボットは痛みを覚える。そうして機械は感情を持ち、自分たちより劣る人間たちに反逆するのだ。
二号ロボット われわれは機械でした、先生、でも恐怖と痛みから別なものになったのです——
アルクビスト 何にかね?
二号ロボット 魂になったのです。
魂と人間とロボット
以前、『アンドロイドは電気羊の夢をみるか?』を紹介したときに、ロボットと人間を分つものは感情移入能力の有無だと書いた。痛みを感じることはその能力に密接に関わっている。ダメージとかHPという概念を持ったとき、彼らは慎重に行動することに努める。また、他人の痛みを理解することができる。一部は兵藤のような奴もいるが。
『ロボット』の最後は悪くない形で終わる。人間の手を借りなくとも、彼らは彼らで生き延びることが出来るのだ。
短い戯曲だが、まだまだ考察できる箇所がある。味わい深い作品なので、折に触れて読み直していきたい。
- 作者: カレル・チャペック,Karel Capek,千野栄一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2003/03/14
- メディア: 文庫
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