カエサルとケルト
カエサルは今のドイツやフランスあたりに住んでいる蛮族どもを成敗していった。ガリア戦記はそのようなヨーロッパ風水戸黄門のお話だ。そこで出てくるガリア人は、獰猛で荒々しくて命知らずの男として描かれている。文字通り裸一貫で向かってくる彼らに、ローマ人は恐怖を感じずにはいられなかった。
ガリア人と聞くと「?」と思う人もケルト人と言い換えれば分かるだろう。言い方がちがうがどちらも同じ人種をさしている。ケルト人はローマ人やゲルマン人らによって押しやられて、ついにはブリタニアというこじんまりとした場所に留まることになった。ケルト音楽とアイリッシュが頭のどこかでリンクしてしまうのはそういった理由がある。
一体何の話を書こうとしたか忘れるところだった。ケルト人が命知らずであった理由は彼らの信仰にある。ガリア戦記の中で、カエサルは彼らが輪廻転生を信じていると記述している。「死ぬのなんてへっちゃらだぜ!」と考えている節があるのだ。
しかし、彼らの思う転生は、地獄とか天国とか救済とか複雑なものじゃない。年を取らない場所や女ばかりの世界がけっこう近所にあってそこでみな楽しく暮らすのだとか。そうして一定期間を過ぎたら「よいしょー」と生き返る。
『ケルト神話と中世騎士物語』はケルト人が考える「他界」がどのようなものであったかを解説し、また数々のケルト発神話を紹介している。ケルト人にとって他界はごく身近な場所にあり、この世との行き来も柔軟に対応できる所らしい。
本を読んでいくと、古くからあった「ザ・ケルト」的神話が、キリスト教の伝来とともに「罪をつぐなえ愛せよ隣人」的な姿勢に変化していくのが分かって楽しい。
ケルトと旅
ダンテの神曲のルーツはケルトにあったとか、マヤ文明とケルト以前の先住民の関係とか話したいことはいくつかあるがここでは省こう。本の最後で、筆者はケルト人が他界へ旅立つ話を多く作った理由を考察している。
たしかに、ケルト的精神は、現実的なギリシャ・ローマ的精神とは対照的に、常に現実の背後に現実を超えたものを、現世の向こうに他界を見ていた。
(中略)
重要なことは彼らが見ているというだけはなく、そこに向って旅立つということである。
(中略)
彼らほど旅を生きた民族はないのである。
ケルト音楽にただようあの哀愁や一期一会的な切なさは、彼らの旅から来たものなのかもしれない。あてもなくさまよいながら、それでも「死んでもきっと何とかなるさ」という楽観的思考を忘れなかった彼らの精神。それが音楽に現れている。
深夜特急の著者である沢木耕太郎さんも「旅は人生」「人生は旅」と書いていた。いつかどこか遠くへ行きたいな。
また読み直そう。
ケルト神話と中世騎士物語―「他界」への旅と冒険 (中公新書)
- 作者: 田中仁彦
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1995/07
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