マトリョーシカ的日常

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【書評】考えるわれはただ一つの真/「デカルト」【感想】

 古本屋で『デカルト』を見つけ、むさぼるように読んだ。飲んでいたコーヒーの味も思い出せない。それほど強烈な一冊であった。西暦一六〇〇年ごろ、日本が江戸時代に突入した時代に生きていた彼は、世界を初めて客観的にとらえ、またそこでの「われ」の生き方に明確な指針を立てた。「われ思う、ゆえにわれあり」はあまりにも有名な言葉だ。

 『方法序説』は以前に読んだ事があるが、わかりにくい箇所が多かった。この新書は方法序説の解説本であり、デカルトそのものの解説本でもある。読めば彼の思想や生涯をなにとはなしに知る事が出来る。

 デカルトは慎重すぎるほど慎重な男だと思う。彼は自らの哲学をつくりあげるために、土台を疑う事からはじめた。人間や世界はどこまでが真の存在なのだろう、と。私たちが普段目にしている物体は、それが真の姿ではない。反射された光を見ているにすぎないからだ。同様に音や匂いも真ではない。さらに言うと、1+1=2のような数学的な論理も真ではない。それを覚えている私たちの記憶が真ではないからだ。

 われわれの見うるかぎりどの知識も真ではなく、従ってどの存在も真実確実なものでないということになるのであろうか。
 そうではない。感覚されるものも、数学的対象も、真になるものではないとするとき、そういうふうに疑うわれは確かにある。自分が疑っているという知は、もはや疑いえない。

 そういう理由で、デカルトは「考えるわれ」こそが疑いえない真の存在だとした。

 少し考え過ぎだと思うが、そうやって一歩ずつ思索を進めないと気が済まない彼であった。だからこそ、今日の古典力学の基礎を作り上げることができたのかもしれない。宇宙を数学によってとらえるという発想はなかなかできたものではない。

 

デカルト (岩波新書)

デカルト (岩波新書)