マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

記録と書評-20140324/「銀の匙」【感想】

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銀の匙 (岩波文庫)

 昨日は大学の卒業式があった。式に出席している時はとくになんの感慨もなくただ時が過ぎていったのだが、研究室で最後の飲み会が終わり家路に向かう電車に乗ったときに初めてどこか切ない気分になり夜をうつす窓を延々と眺めていた。


 生きている限り時間は進む。今日は古本屋で105円の本を一冊買い近くの喫茶店でコーヒーを飲みながらだらだらと読んだ。書店の人が茶色のクラフト包装紙で本を包んでくれたため ああ古本を読んでいるのだなあ という強く思った。「銀の匙」は農業高校を舞台にした漫画またはアニメの方ではなく、中勘助が自身の幼少期を回想して書き散らした作品だ。詩人特有のゆるふわ感あふれる文章はきらきらしたビー玉を扱うように何遍も何遍も読み返したくなるし、色付きの夢を観ているような感覚に陥る。一章をふぅとためた息を吐き苦めのコーヒーを一口入れてまた次の章に手をつける。

 彼の文章はいちいち表現がおかしい。子供のころは知らなかっであろう難解な語彙を用いて当時の神妙な感情をユーモラスに書いている。例えばこんな文章。

 生まれつき虚弱のうえに運動不足のため消化不良であった私は蜂の王様みたいに食い物を口に押しつけられるまでは食うことを忘れていて伯母さんにどれほど骨を折らせたかわからない。

 一息で多くの情報を書く手法はズイショさんに通じるものがある。蜂はメスが偉いのだから実際には女王蜂だがそんなことはどうでもいい話だ。著者は幼少時は人嫌いで運動嫌いで食わず嫌いだった。なにか不具合が起こると伯母さんがあれやこれや世話を焼いてくれておもちゃを買ってきてくれたり遊び相手になってくれる。そのうち友人が出来て伯母さんの手を借りることは少なくなったがそれでもこの作品において彼女の占める所は大きい。それゆえ成長した著者が小さくなった伯母さんと会話するところはこみ上げるものがある。

 「銀の匙」では意味の分からない単語が多く登場した。意味を調べて索引にすると結構な量になりそうだ。以前に灘校の国語教師がこの作品を教材にして三年間かけてゆっくり読み進んだ。確かにこれだけ難解な単語があれば二三ページで一時間はより道できるだろうし、それでも損なわない面白さが「銀の匙」にはある。

 思い深い玩具を丁重にとり扱うように時間をかけて読める文章だった。おわり。