マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

【再読】行間に隙間なく書き込め/「本を読む本」

もう一度本を読むということ。

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本を読む本 (講談社学術文庫)

 年度末はいろいろと出費がかさむので本代を減らす必要がある。そういうわけで今月は新しい本をなるべく買わずに今持っている本を読み直す月にしようと思う。今まで週に三冊読むというペースを保ってきたが難しい本は一度読んだだけは到底理解できない。再読を通じて本への理解をより深めていきたい。


 今日紹介するのは「本を読む本」だ。読書に関するあれこれを語るときにショウペンハウエルの「読書について」に並ぶ有名な作品である。著者のM.Jアドラーは1902年生まれの哲学者であり、訳は「思想の整理学」でおなじみの外山滋比古だ。
Mortimer J. Adler - Wikipedia, the free encyclopedia

 この本には積極的に本を読むための方法が書かれている。積極的に読むというのはただ漫然と文字を追いかけ分かったに気にならずに、目的意識をもちながら読書に臨むことである。積極的読書を体得するべく、著者は人間の読書のレベルを四つに分ける。そしてそれぞれの段階で必要な作業を述べている。四つのレベルでそれぞれ何をすべきかというのはここでは触れない。どこか他のサイトにも載っているはずだ。(本書にもp172,p244にまとめが書かれている)
アドラー『本を読む本』で基本的な本の読み方を学ぶ | digi-log

 それではこの記事は何について書くのか。僕が最も印象に残った以下の文から話を広げよう。

 昔から「行間を読め」とよく言われる。読書の規則も、これを改まった言いかたに直したものにほかならない。ここで「行間を読む」だけでなく、「行間に書く」ことをすすめたい。これをしないと、効果的な読書はのぞめない。

 

線がぐちゃぐちゃに引かれた本をよみたい。

 僕は古本屋をよく利用し、そこで月に何冊か本を購入する。しかし驚くことにほとんどの本に線や書き込みがないのだ。もしかしたらきれいな状態で本を売りたいのかもしれないし、付箋をはっていたのかもしれない。それでもドッグイヤーがつくなど何らかの本を読んだ痕跡が残るはずだろう。そんな本を読むたびに、まるでテナントの入っていないショッピングモールを歩くようなどこか切ない気分になる。

 行間に書くことのメリットはライブ感が増すことだ。くすりと思ったところにほかの誰かによって線が引かれていたら「僕と笑いのつぼが似てるな」と思ったり、読むにつれ書き込みが減っていくのを見かけると「途中で飽きたなのかな」と想像することが出来る。感覚としてはスポーツをtwitterで実況するのと近い。難しい本でもほかの読者の感想を一文一文、リアルタイムで知ることが出来るのはとても楽しい。

 線を引くだけでも十分楽しめるが「本を読む本」では巻末にオリジナルの索引を作ってしまえと書いている。古本屋で見つけてきた教養本に読者独自の索引が設けられていたらそれは新品以上の価値が生まれるに違いない。

もっと汚していいんだよ

 みなさんにお願いがある。どうか本に線を入れることにためらわないでほしい。その本はあなたが買った時点であなたのものだし、売るつもりだとしても線のあるなしで値段はたいして変わらない。(作者によっては例外もあるが)

 ノートにまとめるのもいいが、自分が読み直したときに経験値がより多くもらえるのは本に書き込む方だ。たくさん書いてたくさん汚そう。

おわり

 再読本の書評というのはいつもとはまた別の難しさがあるね。