マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

万年筆を持つということ。

ついに手に入れた

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 前から欲しい欲しいと思っていた万年筆だが、先日ひょっこり手に入ってしまった。いただいたカタログギフトの中にセーラーの万年筆があったので注文したのだ。使ってみるとボールペンとの違いに驚く。インクが流れ出ているにも関わらず全くぐちゃっとならないのだ。一体どういう仕組みになっているのだろう。ペン先の傾きによってインク量が変わるので、慣れている人にかかれば自在に太さを変えることが可能になるのだろう。機能面の話はこのくらいにして、今日は万年筆を持つと生活にどのような変化があるのかを教えたい。

文章を書くのがより楽しくなった

 ブログを本格的に運営し始めてから約一年が経つが、始める前に比べたらずいぶん出力する文字数が増えた。(ここらへんの経緯は以前のエントリを参照してほしい)

もしかしたら僕の武器はブログなのかもしれない - マトリョーシカ的日常もしかしたら僕の武器はブログなのかもしれない - マトリョーシカ的日常

昨日の記事は無視してください。これからも僕なりのやり方でこのブログを続けていこうと思う次第です。帰りの電車は思った以上に混んでいて、僕は4人がけのボックス席の隅...

 それまでは発する文字数はせいぜい400字/dayくらいだった。それもひと言日記やつぶやきなどあまり意味をなさないものが多かった。それが今では1200字/dayくらいになってきている。しかも読者を意識した文章を書くようになり、中身もしっかりしてきた。

 これに万年筆をもつと何がどう変わるのか。一日に出力する文章量がさらに増える。そもそも、書くことへの動機は自分の考えを外部へ保存しておくことの他に、書く行為そのものに価値を見いだす現象が挙げられる。つまり、「なんか分からんけど、書くの楽しい!」である。万年筆で使い出すとどんどん楽しくなってきてどんどん書けてしまうのだ。

字をきれいに書くようになる

 また、万年筆を使うと字をきれいに書くようになる。これは着物をきると姿勢が良くなることと同じだ。高級なものは丁重に扱うようになり、必然としゃんとした文字を書ける。そうするとどうなるのか。見やすいのだ。当たり前かもしれないが見やすい。見やすいとどうなるのか。目で見た画像データを脳内で文字に変換する労力が少なくなり、頭の負担が軽減される。つまり頭にすいすい入ってくる。どんどんアウトプットできて、すいすいインプットできると、回転数が上がりより良いアイデアがバンバン生まれるのだ。

オシャレな気分になる

 最後に言及したいのが、万年筆が放つオシャレオーラだ。種類に寄らず、その外見は美しい。ボールペンは単なる文房具だが、万年筆は装飾品でもある。身につけているだけでなんだか分からないけど優雅な気分になってくる。手のひらで展開されるスターバックスである。何を書いているんだ僕は。

 オシャレって言うのは強い。自分の中にプラスのエネルギーが溢れてきて、駅のホームの階段を一段飛ばしで駆け上り、「よし、やるぞ」というテンションになってくる。これも全部万年筆のおかげ。……いや言い過ぎたかも。

おわりに

 村上春樹は一束の原稿用紙と千円のセーラー万年筆を買い、デビュー作である「風の歌を聴け」を書き上げたという。だからというわけではないけど、セーラー万年筆には憧れがあった。

 何年も使い続けたい。