別にあなたが死んでも何の意味もない
夏も終わり、だいぶ朝晩が涼しくなってきました。快適なのはいいことですが、暑い暑いばかり考えていた頭がすっからかんになり、悩みごとが多くなりがちな時期ですよね。時間を持て余してる学生はよく悩みます。研究、単位、金、彼女、就活、親、サークル、バイト…。
考えすぎて自分でもよく分からなくなり「もう死のうかな/死ぬしかないじゃない症候群」にかかることもあったりなかったり。何か解決法はないかともがきます。Google先生に聞いてみます。が……ダメっ……!!
まぁ顔も知らないあなたが死んだところで、僕自身の生活には何の変化もありません。どうぞご自由に。今日も数えきれない人が死に、生まれてきたんです。代えはいくらでもいますし、悲しむ人はごくわずかです。でもってその涙はすぐ枯れます。
山手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした
突然の事故や怪我によって死の存在を身近に感じることがあります。志賀直哉の「城の崎にて」では主人公が電車に跳ね飛ばされて怪我を負い、その療養にと温泉で過ごした期間が書かれています。それにしても、電車に跳ねられたのに生きてるってすごいですよね。
いつかはそうなる。それがいつか?ー
今まではそんなことを思って、その「いつか」を知らず知らず遠い先のことにしていた。しかし今は、それが本統にいつか知れないような気がして来た。
死ぬのは特別なことではありません。誰もが経験することです。それを自分の苦しみを表現するために使うのはもったいないというか、器が小さいというか、残念です。
とりあえず生きてみる
Gyudon revived! / 吉野家の牛丼(並・玉子付き) / jetalone
そして死ななかった自分は今こうして歩いている。そう思った。自分はそれに対し、感謝しなければ済まぬような気もした。しかし実際喜びの感じは沸き上っては来なかった。生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではなかった。それほどに差はないような気がした。
それほど差がないことなら、とりあえず生きてみましょう。プラス思考にならなくてもいいです。アグレッシブにならなくてもいいです。吉野家の牛丼サラダセットでも食べればおなかは膨れます。今はそれでOK。
さいごに
タイトルで期待させてすみません。具体的な解決法も何もこのエントリにはありません。役に立つであろうエントリをいくつか紹介しておきます。
締切前に「ヴァァァーーーー」となってしまったとき - 発声練習
「いま、オレ何したいの?」という状態になったら - 発声練習
この記事は存在しないか、すでに削除されています。←上から二番目の画像
合わせて読みたい:
マトリョーシカ的日常