マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

33才になった。

 嘘みたいに早い日常がくりかえされている。またひとつ歳をとってしまった。ここまでくると毎年の積み重ねが誤差のように思われてしまう。でも去年よりはやれることが増えているはずだし、私もまだまだやれるんじゃないかーという勢いがある。ないけど。

 こどもたちが大きくなってきて、手がかからなくなったかといえばそんなことはない。ふたりとも大きいし、ふたりともうるさい。長男は地域のコミュニティとか習い事とかそんなものが増えてきて、楽しそうにしている。次男もそうだが彼は無条件に楽しそうではある。妻にはいつも負担ばかりかけているきがする。申し訳ない。

 私は嘘ばかりついているけど、書いたコードは嘘をつかない。不思議な関係性である。むかしだれかが「コードは思った通りには動かない。書いた通りに動く」と言っていた。まったくその通り。そういうことなのかは知らないけど、日々githubにコードをアップしていくと安心する。生きながらえているなあ、と。

 毎朝コーヒーをいれるように、毎日コードをかけたらどれほどいいか。そんな生活を送りたい。送るぞ。

下書きの供養


列車と並んで飛ぶあれの名前を知らずに鳥バードというしかない私たちの季節は春めいてきた。遠くの景色をみるようになり、朝が少しずつはやくなってきている。

つらいときもあったり、かなしいこともあるけど、まいにちの電車はおなじじかんにきていて、わたしはそれに乗る。システムの一部にくみこまれているようだ。

背骨がきりきり音を立てているけどそれにむきあう日々ではない。

朝、皆が起きる前にPCをそっと開く。そしてコードと向き合う。だいたいはエラーになっているが少しするとわかったり、わからなかったりする。それから家を出る。

コードが私を許しているような気さえする。

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ちょっとした日常

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 一文字も書けなくなった私を見かねて、これは別のねこがキーボードを叩いている。当の本人は数年前から現在までの記憶が抜け落ちており、日々の生活もあいまいなままだったりする。リレーが入ってこない。蛍光灯もだめらしい。最近は光電センサーまでもが納期が長くなっている。まともにラインが組めない。それでも仕事は進まなくてはいけないので、どうにかしていくのだが。

 春になってかぞくらの生活が変化した。長男は小学生になり、次男は療育施設に通う。週6で通う。妻は少し時間ができたが、それでも忙しい。私だけ私のままだった。

 CADを扱う時間が減り、エクセルや打ち合わせばかりが増えていく。業務は膨れ上がる一方なので、いろんなひとにお願いしていくことにした。これは最近気づいたことだが、「自分ならすぐできるわー」という仕事こそ誰かに頼んだほうが良い。自分の時間を確保したほうが全体のアウトプットが増えて、健全になる。あとはきつめの問題はすぐに全体に公開してやんややったほうがいい。あとでさわぐよりいまさわいだほうがいい。そんなことばかりしていた。

 数年前の図面ばかりかいていたころが懐かしくなってきた。仕様もまとめずにぐりぐりやっていたがなんとかなっていた。ひとえに今はなき(退職した)上司のおかげである。彼はどこにいるのだろう。

 先を見据えよう。まだまだやりたいことがある。機械設計はある程度めどをつけたので、すきほーだいIoTをやる。そのためには、他の人に仕事を振って、やりたいことに踏み込んでいこう。




Photo by iuliu illes on Unsplash

バベッジノジャンキー

 どっかで聞いたフレーズばかりが耳にはりついていてとれない。という事象はままある。定刻通り走る列車にかかわらず明るさは増えていく。わたしは日差しのながさをかんがえた。日差しにながさはない。ながさ。

 

 18世紀にチャールズバベッジは階差エンジンをつくりあげ、計算の自動化に踏み出した。エンジンは階差をつかって、多項式を単純な加減演算に変換して処理をする。タッチパネルはなく、歯車に一面一面に数値が記載されている。回転によって数値は増減する。桁上がりもする。

 

経済や社会の仕組みが複雑になれば、計算の必要性もそれだけ増す。文明の進捗は計算回数に比例するというわけだが、これがすなわちシッカルト以来の計算機開発の背景である。

p83

 

 階差エンジンは完全となることなく、バベッジは死んだ。資金面の問題とかいろいろあったらしい。

 

 あれから結構な年月が経って、そのエンジンを復刻することになった。できたらしい。youtubeでみた。すごいうごく。

 

 計算機はバベッジ以降、ものすんごい発展を遂げている。電気のエネルギーで小型化とか、いろいろかのうになった。

 

 

 わたしたちはどこにいくのだろうね。

 

 

 フレデリックのジャンキーを聞いている。よい。

 

 

 

ひとさじに満たない文章

 どこかでなにかを書いておかないと、忘れてしまう。実際に私は日々を忘れている。「銃・病原菌・鉄(下)」を読んだが上巻とそれほど変わることはなかった。文明の差は環境によって生じたもので、それは地形と気候に準じている。インターネッツによりそれは平準化されつつあったが、それもコロナによって差が開いてしまった。

 次は何の本を読もうか考える。突如としてマンハッタン計画が浮かんできた。そのあたりの書籍を読んでみよう。