マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

日々のやつ

macbook のバッテリーが故障したので修理に出した。本当はずっとまえからダメだったが使えていたので問題なかった。賞与ももらったのでやることにした。私は文章が打てなくなった。

 

文章を書くではなく、打つとしているあたり、すでに文字との隔絶が見受けられる。だとしたらこれはなんなのか。知らない。

 

今年はひどい一年だった。去年よりはマシか。特に新しいことをやっていない気がする。常に背骨あたりにひずみがある感じがしている。社内ではなんらかの調整をしていた。計画を立て、会議をして、なにかを進めた。増えていく仕事を後輩や先輩に任せながらやった。なくした端から仕事は増えていく。なんだこれは。

 

図面だけを書いていたあのころに戻りたい、と思った。でもまあそれは無理な話だった。

 

仕方がないのでやっていくことにした。社内メールとしてサイボウズOfficeを使っているが、その拡張機能でタスク管理アプリをつくった。同じ部署内の人間に仕事を追加させた。仕事が見えるようになった。

 

私が一番見えるようになった。仕事に優先度をつけてこなす。いらないやつは期限をのばすか、他人に任せる。あとは依頼した人と打ち合わせして消滅させる。なんとかなるものだ。

 

私と妻は老いていき、子供は大きくなるばかりだ。5合炊いた米が一日で消えていく。

 

長男は来年やっと小学生になる。でかい。虫だけでなく、生き物全般が好きらしい。ランドセルはしっくりきている。

 

次男は療育をやりながら楽しく生きている。よく目を合わせるようになった。言葉は出ないが、なにか言いたげである。施設に通うようになってからわりと変化が出てきている。

 

妻は頑張っている。家に帰るとご飯がある。洗濯がなされている。子供が生きている。ありがたい。来年から次男が本格的に施設に通うのでバイトを探したいらしい。協力する。

 

コードを書く日々が続いている。早朝に少しだけコードに爪痕を残しgithubの草をはやす。アプリはいつ完成するのか。8月にはじめて、100時間ほどかけている。バックエンドはもうすぐ。フロントエンドを頑張ろう。

 

通勤時間が暇なのでまた資格試験をやることにした。応用情報を受けよう。

 

コードを書く生活がしっくりきている。しっくりやりたい。

変わらないことはない文章は変わらない

 文章によって生かされている、ということをいつだったか書いた。それがそうだとしたら、近頃の私は死に絶えていた。日々の生活に押し流されて、息をするのも忘れていたのだ。息継ぎをするように水面にやってきて、一瞬書き留めて息をpush/pullしてまた潜っていくのか。

 いつか読んだ本の記憶はとうになくなった。「華氏451度」という本。本を燃やすことを職業にされたファイヤーマンが、いろいろ逃げていく。彼は自分が燃やす本に日々の救いがあるのではないか、とやっていたがそんなことはなかった。文章は文章でしかないのだ。

 最近6歳の長男が文字を書き出して、名前をひらがなで表現している。このあいだは数字を羅列してカレンダーをつくっていた。なんとも人間らしい遊びである。次男は知的障害を伴う自閉症のため、そこまでいけるかどうかわからない。次男は毎日を跳んで過ごしている。

 10年で変わらなかったことを考える方が難しい。修了して就職して結婚して子供ができた。家を買い、車を買い、昇進した。周りの人々は結婚したり疎遠になったり、どこかへ行った。私だけが残っている。工作をしたりプログラミングをした。そういう生き方になってきている。

 ただ、文章はずっとここにある。私が見放してもずっとそこにいる。紙が擦り切れたらとか、データが消滅したら、とかそんなことは関係ない。文字とは概念であって決まりであるので、有れと願う限りいつまでも有るのだ。

 過去のことは振り返らないことにした。私は過去に生きていない。面倒くさいのも有るし、へんに修飾したりしたくない。

 

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

Photo by Vincent Abric on Unsplash

プログラミングの副業をもらったので、詳しく書いた。

f:id:kyokucho1989:20210905061140j:plain

はじめに

 サーバーサイドの副業をいただいた。所属してる「やんばるエキスパート」というオンラインプログラミングスクールで、募集があった。内容は教材サイトで埋め込まれているYoutube動画をモーダル化できるようにしてほしいというものだった。
 動画モーダル化とは、クリックすると動画がポップアップするような状態である。今回は「modal-video.js」というJSのプラグインを使用する。

modal-video.js - 動画をモーダルウィンドウで表示する jQueryプラグインをリリースしました | JavaScript | スタッフブログ | appleple

 報酬は10,000円だった。楽しそうだったので手をあげた。
教材サイトはこちら
やんばるエキスパート教材

続きを読む

過去のことを思っちゃだめだよ、未来のことも思っちゃだめ。

 二回目の職域接種がおわり、わたしはただ座っている。目の前には巨大な送風機とスポットクーラーがある。わたしは冷やされた。周囲に展開されたパイプイスにはそれぞれが座っていた。そこは広い体育館で、大学のひとつの施設であって、わたしはかつてここに通っていた。

 

 卒業してから十年くらいたつと、当時の記憶などはとうに消えている。残っているのは間延びした感覚だけだ。何を学んだか、誰と会話したか、どのような文章を書いたか、なにひとつ覚えていない。それは良いことだ。昔のことは今の自分になんら寄与しない。ここにある、そこにある。それだけ。

 

 それでも大学生協に寄って、惰性で文庫を一冊買った。「組合員ですか」「いいえ」

10%割引がなくなった。

 

 

 先日の基本情報技術者試験は合格していた。直に合格証がくる。わりとどうでもよくなった。次はいよいよRailsを頑張る感じになった。何かWebサービスをつくる。

 

 コードを書く生活というのがしっくりきている。一生しっくりしていたい。以前、「本を読む、文章をかく、ものをつくる」を自らのテーマにしていた。でもいまはそこにコードを書くも追加してやろう。ワクワクしかない。

 

ModbusTCPとマスクの化石/「 銃・病原菌・鉄(上)」

 結局、通信はうまくいった。塞がっていたポートをうまくよけた。PLCとIoTデバイスにおいて、互いのIPアドレスを知り、ポートを知り、プロコトルを理解させるのはそこまで難しくなかった。ただ、わたしの知識が足りなかっただけだった。それでもなんとかなった。クラウド側のプログラムもうまいこといったので、来週からうまく運用できそうだ。

 それはどうでもいいとして本を読んだ。「銃・病原菌・鉄」というやつ。ひどく昔に流行った気がする。最近活字を読んでなかった気がして、学生のころの記憶を探ったらこいつが出てきた。

 人類はなぜ地域間で差異が生まれたのか、を説明していた。結局は大陸の形が原因だった。ユーラシアは東西に広く、アメリカは南北に長かった。

 同じ緯度にある場所は、農作物の生育環境がある程度定まっていた、短期間で効率的な食料供給が可能となった。だからユーラシアはいい感じだった。けれどアメリカはいろんな環境になるから、その土地に合う作物が伝播するのが遅くなった。

 家畜の種類を増やせなかったのも痛い。家畜は労働力の足しになるだけでなく、病原菌の媒介となった。日常的に動物と接していると、飼い主は病原菌の抗体をもてた。だからヨーロッパの人々はインディアンに勝った。インディアンはこわい病気の抗体を持っていなかった。その名は。忘れた。

 ざーっと読んでわかる気になった。それで良かった。これらの要約はどこかに転がっているわけで、私が理解する必要はない。それにつけてもコロナは怖い。人類の進化とか繁栄にあたって、このコロナはそうとう大きい分岐点になりそう。

 ITの力で全世界はワールドワイドに展開された。もうどこでもフラットデザインである。しかし、コロナはそうならない。なぜか流行る国と流行らない国がある。ワクチンをもっているところ・マスクをしたところが強い。今後はそうなる。

 つぎに来るのは大地震かと思っていたらコロナだった。全人類はマスクの化石を生み出す。そうして一億年ほど経った先に、私たちの子孫はなにをかんがえるのだろうか。

「この時代の人々の記録はデジタル信号におきかえられており、復元は非常に難しい。われわれのようなDNA記録媒体は持ち合わせていないためだ」

知らない。

Photo by Caseen Kyle Registos on Unsplash