Photo by Zoltan Kovacs | Unsplash
晴れてはいたが、水分が多かった。六月のムッとした空気が停車している電車を押しつぶしていた。それは私のホームとは反対にあって、私が乗るべき電車はまだきていなかった。この情景描写は本文とはまったく関係ないが、それを記録しておくべきと私は感じていた。そうしてこうなった。
wishリスト経由でおいもさんから『論語』をいただいた。ありがとうございます。時間が経ってしまったが、少しばかり感想を書こう。論語とは、中国の孔子というおっさんがえらいこと述べてたものを集めたものだ。おっさんはだいたい紀元前五五〇年から四七九年まで生きていた人間で、割と古い人間だ。
論語の中心となるのは仁、君子という要素であり、だれもがそれを夢見ている。仁を持ちたいな、君子となりたいな、それにはこれが必要でこれが不必要だ。彼は君子で彼は君子ではない。そんなことを淡々と述べている。孔子はたくさんの弟子がいて、その中ので出来のいい弟子は作中にも登場する。出来のいい弟子は、「どうやったら偉くなれるんですか!?」「君子になりたいけどどうすればいいんですか!?」と質問してくる。孔子はさらりと答える。いろいろと繰り返している。
子の曰く、与に言うべくしてこれと言わざれば、人を失う。与に言うべからずしてこれと言えば、言を失う。知者は人を失わず、亦た言を失わず。
よく話し合わないと人を失ってしまうし、言い過ぎたら言葉を無駄にしてしまう。この言葉を無駄にするという発想が面白かった。私は言葉は無限のリソースがあって、無からいくらでも生み出るようなイメージを持っていた。そんなことはないのか。確かウィトゲンシュタインは語ることを思想の単位としてやって、「我々はどこまで語り得るか」を実験していた。「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」つまりは言葉は通貨のように有限だったのだ。そうか。
世界を構成する要素のごく一部に鋼材がある。それはアングルやH鋼という種類があって、断面がL字だったりH字だったりする。
彼らの大きさはある程度決まっており、定尺とか標準寸法と呼ばれる。私はその中から必要な大きさのものを探す。自分がつくりたいものと、既存の物体の間を行き来し図面が出来上がる。楽しい作業だ。そうして改めて世界を見渡すとそこかしこに標準寸法の鋼材が使われている。かれらもひとつの単位なのだ。単位。
孔子はこの世界をどのような単位で見ていたのか。仁や君子なのか。わからない。わからないまま明日が来る。
- 作者: 金谷治訳注
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