マトリョーシカ的日常

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意識の遅れ系と黄金比/「黄金比の謎」感想

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 前から記事しようと考えていたネタに、「意識の遅れ系」というものがある。なんのことはない。「自分の思考や思想は遅れて具現化する」ということだ。私はポケットサイズの野帳に日々思ったことを書き散らかす癖があって、へんてこなアイデアや願望を記録している。「3Dプリンターでなにか作りたい!」とか「こんな本を読みたい!」など。そうして年月がたち、ふと過去のノートを見直すとその時の書いた内容がすでに実現されたことに気づくのだ。「ああ、そうかこんなことを考えていたのか。これは叶ったなぁ」と。意識って楽しい。

 我々の意識はどこからやってきてどこへいくのか。よく分からないが、そこまで難しい仕組みにはなっていないはずだ。計算できないというか非計算領域の話だ。「なんとなくそうなっている」という言い方が一番しっくりくる。ただ、計算式で表現するならば自己循環とか回帰とか自己相似のニュアンスを含んでいるはずである。次のステップを考えるときに今の自分を元におくアレだ。

 このまえ黄金比に関する本を読んだ。黄金比とは1:1.618...という比であって、人間が美しいと感じる形状にはそれが隠されている。また、その比はフィボナッチ数列の隣り合う数字の比の収束先と一致する。その本では自然界や人工物に見られる黄金比やフィボナッチ数列の観点から黄金比に対して迫っていく。面白い本だった。

 フィボナッチ数列は、ひとつ前とふたつ前の値を足しあわせたものが今の値になっている数列である。前の値をもとに少しずつ変化させる。そのような仕組みは自然界に多く見られる。桜の枝のつき方だったり、カタツムリの貝殻だったり、花の花弁の数だったりする。単純で多様な結果を生み出すそのアルゴリズムは、彼らに生存的な強さをもたらした。フィボナッチは強い。

 そうやって前の話につなげようという算段なのだ。再帰的な思考はフィボナッチに導かれ、黄金比を生み出す。意識の良さというものが発生するのかもしれない。本書には、なぜ人間が黄金比に惹きつけられるのかという考察がなされている。「共感」と「憧憬」だという。人間は手の届きそうな美しさに憧れる。なんとなくクリスタル的な。黄金比はその「ちょうどよさ」を導くのだとか。

しかし私は「ちょうどよさ」を厳密に分類することを目指しているのではない。むしろ、それらのあいだを「共感」あるいは「憧憬」などの感情が行き来しながらもゆらいでいることに注目している。

 

黄金比は「ちょうどよさ」のあいだで行き来する心のゆらぎを誘発する。


 未だに意識のメカニズムは解明されておらず、私がなぜブログを書くのかも分からないままである。しかし、「良さ」という概念は心のなかにある。「なんとなく楽しそう」とか「良さそう」とか。ふんわりとした雰囲気に後押しされ、今日も私はエディタに向かう。うぇーい。

黄金比の謎 (DOJIN選書)

黄金比の謎 (DOJIN選書)