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マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

正しさの彼岸、恣意性と不確定性/不完全性定理

読書

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Photo by Maria | Unsplash

 そうやって明晰な朝が来ると、こめかみから思索が漏れていくような気がして、少しの不安を抱く。

 仕事上の問題は片付けられた。結局はコミュニケーションなのだ。私はこう考えています、いまからこれをやります、やりました、次はこうします。そういった一連の流れを周囲と共有し進めていくことが重要なのだ。モノにばかり気を取られていてはだめで、上司から見た自分、同僚から見た自分、他部署から見た自分のイメージを頭に思い描く必要があった。今更これに気づいた。何をしていたのだ、私は。

 仕事の帰りにふと空を見上げるといくつかの星がちらちらとしていた。冬の寒い空気の層が次第に取り除かれていく。筋肉の緊張がほぐれてきていて、自分の奥のほうからモゾモゾと何かがうごめいていた。「違うな」と思った。「これじゃない」とも思った。自分が何をしたいのか。何をして生きていきたいのか。具体的なイメージは起こせないが、一生この会社にいるというのは明らかに違った。

論理と数学は、人間の知的活動のうちで、最も形式化を行い易い分野であり、それゆえに、他の分野に先駆けて、形式系や、ヒルベルト計画のようなものが創られたのであるが、その数学においてさえ、形式系の恣意性や不確定性を逃れることはできない。
p271


 ゲーテルが登場し不完全性定理を発表すると、ヒルベルトの描いた夢の計画ははかなく消えてしまった。不完全性定理を完全に理解することは結局できなかったが、なにがしかのコンセプトは確認できた。数学に絶対的な正しさはないということ。数学の正しさを数学で図ろうとすることはできず、正しいと信じるかないということだ。これは「数学は間違っているんだ。人間の知能に限界はあるんだ」という主張では無い。今の数学では正しさを述べることができない、というだけだ。

 「世代を追うごとに人間はどんどんだめになっている。最後にはAIに置き換えられるぞ」と誰かが言っていた。決してそんなことはない。AIはアプリオリな正しさを認知することができない。機械的計算を超えた行為、意味づけを行えないのだ。しかし、人間はできる。人間はすごい。我々の知能はいくらでも拡張することができる。脳みそとかいう三次元的な制限を考えてはいけない。未だに意識がどう働いているのか、なんてわからないのだから。

 このあたりでゲーテルの不完全性定理の記事を終わりにしたい。結局三ヶ月もかかってしまった。長くなってしまったが、わりと楽しく読むことができた。次はいくつか記事にしたいことが溜まっているので、それを消化しつつロジャー・ペンローズの意識の本を読み進めていきたい。


ゲーデル 不完全性定理 (岩波文庫)

ゲーデル 不完全性定理 (岩波文庫)