Photo by Stacy Wyss | Unsplash
息子が二語文を話すようになった。「〜ない!」とか「〜あった!」とずっと喋っている。ずっと喋っている。いったい誰に似たのかしらんと思ったが、そういえば私も幼い頃はお喋りやさんだったらしい。自分でも少しだけ覚えている。それがどういうわけで現在に落ち着いているのか、よくわからない。もし、あのままお喋り野郎で生き続けていたら、もう少し人間とうまくやっていけたのかもしれない。コミュニケーションは難しい。
どこまで話したか忘れてしまった。たしかラッセルのパラドックスの手前で終わったか。一九世紀の終わり頃、自然数を論理によって発生させようとかいう運動が起こり、ややあってそうなった。彼らは「自然数は自然に生まれるからいいじゃん」という思想は通用しなかったのだろう。ルールに基づいて数字をつくった。その第一人者はフレーゲだが、それをさらに全数学の発生学が可能だと示したのがラッセルらしい。ラッセルは論理論理に頑張っていたが、あるときパラドックスを発見してしまって困った。それがラッセルのパラドックスである。
ラッセルのパラドックスについて説明しているところを何度も読んだが、いまいち意味が呑み込めなかった。条件A(xはx自身の要素とならない)を満たす集合xを考える。そのxを集めて集合Sを考える。「このときsがs自身の要素であると仮定しても、そうでないとしても矛盾が生じてしまうのである」 ——なんだそれは。おそらく、このパラドックスのキーは自己を含むことにある。再帰的な思想を論理に用いると、それは無限大に膨張してしまい、とどまることを知らないのだ。似たような意味にパラドックスに嘘つきのパラドックスなどがある。「私は嘘つきである」という一文が矛盾しているのだ。これは具体的なので私でも理解できた。
ラッセルは自身の著作「プリンシプルズ・オブ・マテマティカ」(無駄にかっこいい)で、上記のパラドックスを取り上げた。1903年のことだった。みなはカントールの時より純化されたパラドックスに慄いたが、集合は便利だったので使いたかった。ここでヒルベルトが出てくる。ヒルベルトはそのような矛盾から集合論を助けたいなと思っていた。彼は可解性と無矛盾性という武器をもって、パラドックスに挑んだ。どうやっていくのかは次の章に書いてある。また次の記事に書こう。
多くの場合、新理論は熟した実が枝から落ちるように、時期が到来して自然に生み出されるものなのだが、それがある個人によってなされるには、理由がある場合が多い。新理論がその発明者に適した思想を持つ個人を「選ぶ」のである。
p158
ヒルベルトのバックボーンはカント哲学にあった。あるとかないとか、そんなことを述べているあの哲学だ。ヒルベルトはアプリオリな感じのそれを数学に対してもちらつかせた。
私は何か持ち物はあるのか。よさげなバックボーンはあるか。はてなブログに書き溜めているこれらは、背骨としてしっかり機能するのだろうか。しかし私が脊椎動物ではない場合もありうるので、そのあたりは真摯に議論を重ねていきたい。
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