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マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

立ち尽くす問い/存在と時間

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 一つの文字を打たねばならない。こうして、文字を「打つ」と表記すると後から修正することができないような印象を持ってしまう。そんなことは全くない。けれども、修正できないのだから、と自身の書き出しの不出来さを弁護することは可能である。良い時にだけ文章をつづろうと考えると、絶対に良い時は訪れないことがわかった。それならば書く頻度を増やし、観測地点を多く設置して、良い時に備えていよう。私はそう考えた。

 存在の意味へ向けられる問いは、もっとも普遍的でもっとも空虚な問いである。しかしその問いのなかには同時に、それ自身が各自の現存在へもっとも痛烈に個別化されてゆくという可能性がひそんでいる。

存在と時間(上) ちくま学芸文庫 p101

 そろそろ「存在と時間」を読まなくてはいけない。これは存在と時間について書かれている本であって、哲学のたぐいだ。著者のハイデッガーはいろいろと考えていたらしいが、私はその百分の一も汲み取れるかどうか怪しい。彼は哲学者が長年考え続けてきた存在について思うところがあるようだ。へぇー。

 しかし、こんな本は読んではいけない。文字を咀嚼してはいけないのだ。哲学書なんて真剣に読んだら時間がいくらあっても足りない。ここは噛まずに飲み込むのがベターだ。「哲学は飲み物」である。だから本文にいきなりあたらないで目次から全体の雰囲気を感じ取ろう。一番重要なのはこの本は未完ということだ。ハイデッガーは最後まで書かなかった。序論のおわりに彼が目標としていた目次を記しているが、出版されている「存在と時間」はこのうちの第一部- 第二編までしかない。残念なことだ。未完なのだから、彼がほんとうに何を言いたいのかはわからないし、頑張ってわかる必要もない。ホッとする。

 あらためて目次に目を通す。序論では「『存在とは何か』とは何か」について述べている。存在についてお問い合わせする意味とか方向性、その問いに含まれた構造を表現しようとしている。第一部は「現存在と時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」らしい。現存在というワードを時間軸に対して投影するイメージなのか。第一編で現存在の成分分析と構造を研究する。そもそも現存在がなんのことだかわからないが、割と大事なのだろう。目次を読む限りでは、現存在は「世界=内=存在一般」によって根本的な構成がなされていて、さらに「共同存在」と「共同現存在」がつけ加わる。第二編は「現存在と時間性」である。きっと現存在と時間の関係性が書かれているのだろう。

 ページをパラパラとめくり文字をみるが、おそらく日本語である。カントよりは優しい言葉で書かれている気がするが、突っ込んで読んでいくとまるでわけがわからない。これが哲学なのか。ひどい。しかし、これくらい突き放してくれたほうが読む方としては楽な面もある。序論から気長に読み進めていこう。

 著者ははじめに存在とは何かとは何かを書いている。いきなり存在そのものに着目するのではなく、「なぜ我々は存在の意味を知りたがるのか、問いを立てたがるのか」ということをやっていこうとする。実際にやっている。やっていると、存在への問いは答えだけではなく問いそのものもあやふやなことがわかった、らしい。あやふやなのだ。私の頭もあやふやである。

 ハイデッガーは問いの構造を理解したい。私は理解したくない。それでも文章はその方向に進んでいるので従うしかない。二〇一六年九月のことだ。本書曰く、「〜を問う」とは何らかの方向性があるはず、とのこと。なるほど、矢印があるわけだ。ということは矢印の先端と根元があってそれがどこを指しているのかを知らねばならない。しかし、そいつもあやふやだという。彼はそれを「漠然とした存在了解」と表現している。私は一枚のテーブルクロスが三次元空間上で固定されている様を想像した。クロスのどこかにひとつのシミがあって、それが真に求めたい存在チックなそれだが答えは3、現実は非情である。

 問いは決定されないが、それでも注意深く見ていくと、らしき様が浮かび上がる。
ハイデッガーさん「やや、もしや問うものは存在者で問われるものは存在なのではないか」
「しかし、だとすると問われるものは『存在者の存在』ということになるな」 
「え?『それは堂々巡りにならないか?』だって?」
「大丈夫!できる!やれる!」
「今問おうとしている『存在者の存在』は昔からある存在論を前提として成り立ってるから!常識だから!」
「常識だから大丈夫!」
「まぁ、軽く堂々巡りはしかけてるけど『どうど』ぐらいで止まっているから」
 こういったハイデッガーさんのごり押しでなんとかなった。それから最強に根本的なあれである「現存在」についての説明をうけた。なんだかよくわからないが、「存在はどの学問にも根底として備わっている。だから存在は最強だ。現存在最強」ということらしい。っへー。

 序論の第2章はまた今度。

存在と時間〈上〉 (ちくま学芸文庫)

存在と時間〈上〉 (ちくま学芸文庫)