マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

閉塞感にあらがうスーパーヨーゼフ・K/「審判」

審判 (新潮文庫)

 日常に差し込むように審判を読み、そうして読み終わった。二度目である。どうあがいてもヨーゼフ・Kのもっさり感を取り除くことはできなかったが、それもきっとあの文章のよいところなのだろう。作中で、ヨーゼフ・Kは二度ほど暖かいこもった空気にやられそうになる。ひとつは裁判事務局の中で、もうひとつは絵描きの部屋だ。裁判に関与するものたちは、暖かく密閉された空間を好むようだった。わたしはその空気が非常に苦手で、Kの息苦しさに共感を抱いた。こもったような空気は閉塞感を生み出すが、同時にどこにも逃げない安心感を得ることができる。きっと事務局のひとびとはその安心にすがりつき、何年も何十年も似たようなリズムの中で生活をしたいのだと思う。

 Kは確かに処刑されたが、彼が裁判にかかっている間もまわりの世界は変わることがなかった。自身の仕事に支障が起きることもなかったし、下宿先から追い出されるようなこともなかった。そこにあるのはKの内面の変化のみであった。私は罪の有無は自分の心の持ちようによっていかようにもなる、と思った。要するに意識の問題であった。私が生き続けることで、だれかが嫌な思いをしているに違いない。しかし、私には不利益の情報が届かず、したがって罪の意識はない。

ただ注意をひかぬようにすることだ! いくら意にそむくようになっても、落着いた態度でいることだ。この巨大な裁判組織はいわば永遠に浮動し続ける(中略)ということをよく見抜こうと努めることだ。
p164

 Kはいったいどうしたら処刑されずに済んだのか。一番は弁護士を利用し続けることだ。Kは自分の訴訟が一向に進行しないことに、憤りを感じ、弁護士のサポートを受けることをやめようとする。実際の世界でも訴訟は時間がかかるものらしいが、作中の世界では本当に一切訴訟が進行しない。わけのわからない文章と言葉が表面上で行き交うだけだ。弁護士は彼を引き止めようとするが、結局さいごはどうなったのか。その章は未完であり、真相は闇の中だ。

 全てが曖昧なまま、結末だけはっきりしている小説だった。

「まるで犬だ!」と、彼は言ったが、恥辱が生き残ってゆくように思われた。
p308


 プレゼントのお知らせ:
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