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マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

記憶があるうちに2015年に読んだ本について書く。

読書

 全く短くない一年だった。いろいろと出来事があって、いろいろと考えた。しかし、それは記憶にほとんど残っておらず「なんだか疲れたなぁ」という印象しかない。こういう時は自分が読んだ本から汲み取ってやるのが良い。というわけで今年読んだ本をおさらいしてみる。これが書きたかっただけだ。

 年の初めにローマ史を勉強するぜ、と意気込んでいたがいつの間にか忘れてしまっていた。PKDの【ヴァリス】を読み、あのイカレタ世界に意識がいってしまったのか。ヴァリスは全世界にあまねく行き渡る知的な存在である。彼は何でも知っている。要するにイデアだ。PKDがこれを書いた当時は何があったのか分からないが、今の時代は確実にヴァリスの創造を目指している。IoTやらインダストリー4.0がそれである。全ての物体に知性が搭載され、あらゆる情報が見えないところで行き来する。それはもしかしたら、ヴァリスという一個体に集約されることはないかもしれない。情報の海を全物質が共有するのだ。あと百年ほどしたら受験勉強なんて意味をなさなくなるかもしれない。頭のグーグルに聞けばいいや、となるから。

 その後で【πの話】という円周率の本を読んだ。円周率とは直径と円周の比であって、簡単に求めることができない。昔の人もこの数字を不思議なものと認識していたようで、格闘した様子を読むことが出来る。縄で測ってみたり、多角形で近似してみたり、おもしろ公式を発見する。計算機の登場によって円周率のしっぽはぐーんと長くなった。小数点以下がどっさり計算できた。「円周率何か学んで何の意味があるのか」と疑問に思うだろうが、それを問うのはナンセンスである。意味のないことを勉強してはいけないという決まりはない。我々の生活は大半が無意味なことで構成されており、それにちょっと円周率を付け足すことくらいわけないのだ。

 今年は一冊の本について何本が記事を書くスタイルが続いた。その方がたくさん書けるし、記憶に残りやすいし、何より気が楽だ。【インド神話】は特にそのスタイルが適していた気がする。インド神話はギリシャ神話のようにめっちゃ多くの神が出てくる。神の中にも良い神と悪い神がいて、なにかと争っている。インドラは良い神同盟の主人公的キャラで、ヴァジュラという強い武器を持っている。そのくらいしか覚えていない。でも、海の水を飲み干した話は楽しかった。海の底にいる悪魔たちを倒すため、アガスティヤさんに頼んで海の水を飲み干してしまうのだ。結果、海は干上がって悪魔を退治することはできたが、海はもうアガスティヤさんが消化してしまったため戻せなかった。ひどい話である。

 【純粋理性批判】の上と中を読んだ。内容は忘却の彼方であるが、記事検索して読み直すとどうやら当たり前についての話であることが分かった。当たり前とはなにか。当たり前はどこから来るか。

さて、ここからカントは中巻の(というか第二部の)まとめにうつる。この巻で紹介した「先験的弁証論」というのはいまひとつ分からなかったが、「当たり前をどうやって見積もるか」を語っていたのは覚えている。彼は三つのアプローチを用いた。ひとつは私を主体に置く心理学、もうひとつは因果性から全てを探求する宇宙学、さいごは神を検討する神学である。

自己を認識しはじめる息子と神さま - マトリョーシカ的日常

 著者のカントは「明日もう一度来てください、最高の当たり前をお見せしますよ」と意気込むが、ああでもないこうでもないと否定をするばかり。結局何が残っているのかと考えると、何も残っていない。彼は中巻の終わりで、「くぅ~疲れましたw 全てのものを完全に理解するのは難しいね」と述べている。前半は嘘である。私は中巻を読み終えると、座布団に叩き付けた。いい音がした。一体下巻には何が書いてあると言うのだろう。

 一番楽しかった本は【量子力学の誕生】である。読みながら、量子力学の歴史を記事にしてまとめていった。19世紀後半ごろに、ニュートン力学では捉えきれない何かがあるぞ、という潮流が起こりはじめた。はじめは皆否定するも、実験レポートが上がってくると、だんだんとその見えないやつの存在を認めるようになった。原子よりも小さい奴ら、量子である。彼らの特徴はなんといっても因果律に適用されないという点だ。

もはや原因と結果というパティーンは通用しない。我々は光をあてることで観測を行うことが出来るが、その光によって量子は動きを変えてしまうからだ。だから本来の状態を知ることは決して出来ない。観念や概念などの抽象的な思考を持つほか道はない。

ちっさいおっさんが織りなす量子仮説 - マトリョーシカ的日常

 観測されると様子が変わる。一体どうやって真の姿を知れば良いのか。きっとそれはナンセンスな行為なのだろう。真実とか正義とかおまけで必ずついてくるとか、私たちは確実なものに頼りすぎていた。これは誤差を広くとれば良いという話ではない。誤差というのは真があってこそ存在する。ここには存在しない。


 来年は何を読もうか。量子力学の歴史はざっくりと学ぶことができたので、次は量子コンピュータに手を伸ばそうかな。暗号とか人工知能にも興味がある。毎月二、三冊ずつ適当に読んでいけばいいかなと考えている。

 

ニールス・ボーア論文集〈2〉量子力学の誕生 (岩波文庫)

ニールス・ボーア論文集〈2〉量子力学の誕生 (岩波文庫)