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マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

日本語の読み書きと原因の原因

純粋理性批判 読書

 「大学まで行ってなにか得るものがあったのか」と聞かれたら「日本語の読み書きが少しできるようになりました」と答えたい。ただ、この少しというのが侮れない。私はよく社内ネットワークの掲示板を閲覧するが、日本語がおかしいものが多い。社内には助詞を入れずに熟語をつなげるのが粋という風習でもあるのだろうか。表題には聞いたことのない造語がじゃんじゃん出てくる。そしてその返信もなんだか変だ。こはいかに、と実際に話を聞いてみると文章とはまったく違う印象を受けたりする。最近会社で書き物をすることが増えた。いまのご時世、何でも文章で残しておかないといけない。上司は面倒くさいとつぶやいていた。私も面倒だと思った。ただ、文章作成は手早く終えることが出来る。上手くではなく、手早く。さささと終わらし定時で帰る。文章は大事だ。


 私は文章によって全体の構造を理解することは不得意ではない。しかし会話から内容を汲み取るのがまったく出来ない。まず、単語が聞き取れない。以前まで聴覚の問題かと考えていたがどうやら違うようだ。聞き手は語り手から出されるであろう単語を予想しなくてはいけない。予想とは自分と相手の関係や、直近のやりとりをふまえるということだ。私にはそれが出来ない。なぜかというと他人に興味がないからだ。会話を覚えていない。そんなことではこの先生きのこれないぞ、と自分に発破をかけて真剣に耳を傾ける。傾けようとしている。

 驚くべきことだが、純粋理性批判(中)はまだ半分以上ページが残されている。この連載(?)記事も六つを数え、さすがに読む人も飽きて来たと思う。私も飽きた。しかし量子力学のあれは十記事あったのだから、もうしばらく続けても問題はあるまい。前回のあらすじだが、「宇宙論はあんまり意味がないよ」である。今回はアンチノミー3の「物事には原因がある/ない」について書く。カントさんが頑張っている。彼は原因を因果性、原因がないことを自由だと書き換える。果たして因果性と自由は共存するのかが彼のテーマソングである。

 因果性というあれは物理法則あてはまるそれである。似ている言葉で自然というワードもよくよく文面に登場する。自然法則だ。天気の移り変わりや潮の満ち引きといったスケールの大きいことがらはだいたい法則が存在する。人間が認識できる事象を現象と言う。カントは因果とは原因をもつ原因のことだと言う。そんなことを唱えたら原因はどこまでいっても明日がある帰納法になってしまう。何を言っているのか分からない。無限の原因の連鎖を断ち切るものはないのか。

自然のなかに織り合わされている一切の現象の全般的な結合と連関とは、例外なく妥当する法則である、それだからもし我々が現象の実在性を固執しようとするならば[現象を、物自体の意味での実在であると見なすならば]、自由は必然的に崩壊せざるを得なくなる、ということである。

 カントは原因を感性的原因と可想的原因に分けた。前者は私たちが通常使う原因であり、現象の中に存在する原因である。一方後者は現象にはあり得ない原因だ。可想的原因を登場させることで、「生起する一切のものは現象のうちに原因をもつ」という決まりを守りながら、原因の連鎖を断ち切ることができた。よかったね。私もほっとした。これでようやく宇宙論の話にけりがつく。因果性を求めていくだけでは千日手となり、物事がまったく進行しない。こうなったら絶対的存在を経験的類推のもとででっちあげなければいけない。神さまのことだ。

 次からは神さまの特集をしよう。

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