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マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

虚無に対抗する術/純粋理性批判(中) 5

読書 純粋理性批判

 日々が無意味に過ぎていく。本当はきっと豊かな情報があたりを飛び散らかしているのだろうけど、私はそれをみる術を持たない。特に何もすることがないのでこうしてエディタに向っている。はてなブログのエディタは真っ白けで割と気に入っているが、時折彼が私に文章を書くことを強要している感覚に陥る。さあどうぞ書いてくださいと。はぁそうですか。

 宇宙論を用いた課題解決はまったく不可能だと言う。そいつは経験をもとに現れたサクセス丈太郎であって、自身の知覚や経験を置き石にしてちょんちょんと進まなくてはいけない。だが以前ご紹介したアンチノミーは絶対的全体を指し示している。経験は全体を覆うことは出来ない。カントもだんだん飽きてきたような気がする。文章から筆者の気持ちを読み取る。「不可能なのだからせめて自身の考えに矛盾が生じないように気をつけようね」と語りかけてくる。そうして「批判的解決」がオススメとつぶやく。占いのラッキーアイテムのように。長い文章を相手にしていたが、似たようなことを繰り返し述べているにすぎなかった。

宇宙論的理念およびこれと共に、互いに相争う弁証的主張は(中略)単に思考によって作り出された空虚な概念を根拠にしているのではあるまいか

 意味のない読書である。

 まったく話は変わるが、私は考えることを恐れようとしている。していると書いたのは、本当は主語を人間としたかったけれど大きな話になりそうなので無理やり私に変えたためだ。私はそれほど恐れていない、きっと。みんなは一日のうちどのくらいの時間を考えることに割くのだろう。考えるとは五感を遮断した状態でも論理を展開することだ。その状態は完全な虚無である。ちかごろの若者は本を読んだりケータイをいじったりしているけれど、それは多分空虚に対抗できないからであろう。私だっていやだ。文章を読むのはわりあい簡単で、筆者の一方的なツイートに適当にいいね!しておけばいい。そこから生まれる考えはあなたのものではない。

 ああどうしよう。活字を奪われてしまったら私はなにをしたらいいのか。結局どれほど情報を摂取しようが残るものはほとんどない。今突然停電が起きて、目の前が真っ暗になったらそこで何を完結できると言うのか。ちょっとよく分からなくなってきた。

 問題をつくった。数週間したら自分の解釈と併せてここに載せよう。それらの問題はおそらく簡単で、ネットで調べたらすぐに答えが出てしまう。出てしまうのはもったいないのでまだ調べないし、公表もしない。少しだけ考える練習をしよう。

いかにして問題をとくか

いかにして問題をとくか