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マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

手拍子ソングと利己的な遺伝子

 先日、いらなくなった本をいろんな人に送った。有形無形のなにがしがいろいろ返ってきた。目 (id:ankoro) さんからは手拍子ソングと深夜に聞きたいBGM集が送られてきた。私は音楽を聞きながら手拍子をするクセはないので、この曲の素晴らしさを十分にいかすことができない。残念だ。かわりに頭を上下左右にふりながらこの記事を書いている。

 わたしに残された時間は数えるほどしかない。言ってみたかっただけでとくに意味はない。実は誕生日プレゼントにいただいた本をまだ読んでいなかった。リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」である。送り主である柴谷さんはもう忘れているかもしれない。申し訳ない。一ヶ月まえの数日と、昨日と今日を使って読んだ。たいへん面白かった。

 これは「遺伝子はつよいぞ!でもにんげんも負けない!」という本である。われわれ人間は自分の頭で考えて行動していると思いがちだが、じつはそんなことはない。基本方針は遺伝子が決めている。遺伝子とはなんだか螺旋構造になっているあれらしく、ちいさい。彼らの究極の目的は自分を存在させることである。そのうち誰からが自己複製という持ち技を披露し始めた。これはまったく言葉のままで、つまり自分のコピーをつくる技である。コピーがコピーをつくり、それがまたコピーを呼ぶ。こうして世界はコピーで埋まった。

 しかし、埋め尽くされると今度は自分を構成する材料が尽きてしまう。そうなるともう相手を壊してうばうしかない。血で血を洗う、むじひなたたかいである。遺伝子は武器や防具をつくりここで装備していった。それが筆者曰く「生存機械」と呼ばれるもので、私たちだ。私たちは遺伝子を守るためのお城である。

 さて、利己的うんぬんの話をしよう。この本では遺伝子は利己的な行動を行うとしているが、ある方向からは「自己犠牲をするやつもいるぞ」という反論がくる。しかしこれはナンセンスな話だ。ドーキンスは利己的なのは個体ではなく遺伝子だと主張している。遺伝子はあなただけのものではなく、いろんな人間に分散投資されている。だから自己犠牲という利他的な話は遺伝子レベルでは利己的なのだ。びっくり。

 楽しい話はまだある。最近になって、人類は遺伝子のような新しいものを発明した。文明とかカルチャーといわれるそれだ。そいつは生命をもたないが、人間のあいだで広く普及したり廃れたりする。筆者はこれを模倣と遺伝子の単語をもじって「ミーム」とした。ミームが意志をもつかは知らないが、彼らはより僕らに時間をつかわせようとしてくる。僕らがいいね!すれば彼らは広まる。科学技術もそうかもしれない。

 遺伝子やミームに左右されっぱなしの私たちであるが、希望もある。人間は「意識的な先見能力」が備わっている。きっとこうなるだろうな、と予想できるのだ。遺伝子たちにはそれがない。

 われわれは遺伝子機械として組立てられ、ミーム機械として教化されてきた。しかし、われわれには、これらの創造者にはむかう力がある。この地上で、唯一われわれだけが、利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのである。

 書きたいことはだいたい書けた。そろそろ妻と子どもが実家から帰ってくるはずだ。数ヶ月間の一人暮らしは今日でおわり。明日からまとまった時間がとれなくなるかもしれない。しかし、それはそれで細切れの時間を使えばいい。むしろそのほうが集中できるのではないか。知らない。


利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

  • 作者: リチャード・ドーキンス,日高敏隆,岸由二,羽田節子,垂水雄二
  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 2006/05/01
  • メディア: 単行本
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