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マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

経験に依存する飾りじゃない涙/「論理哲学論考」その2

 昨日の夜、地酒を少しずつ口に含みながら井上陽水をBGMに記事を書こうとしたが、どうにも文章が定まらなかった。お酒は美味しかったが、それと思考が明瞭になることとは別のことらしい。彼は行かなくちゃ、きみに会いにいかなくちゃと自らを急かしていたが、その前に傘を買った方がいい。慣れないことをするものではない。少し早起きをしてコーヒーをすすりながら遠い国の音楽を聴き、キーボードを叩く。今はこのほうがしっくりくる。BGMは『McBrides』という曲が気に入っている。前回の続きから書こう。


 可能性を拓くためには、いまある事実をいくばくかの要素に分解し、それを再構成する必要がある。どうやって分解は行われるのか。ウィトゲンシュタインは論理形式というものを挙げる。論理形式は意味らしいことを含む箱である。たとえば「犬は」につづくそれらしい述部は「走る」「食べる」であり、「奇数である」はすこし違う。組み替えを行う際に、有意味かどうかを確認し、それによって対象の論理形式を明らかにする。それが分解/再構成の中身である。

 ここで解説文の中に命題と名という言葉が唐突に出て来た。本書から読み取るに、命題とはいくつかの対象の配列であり、名は対象とは異なり、それ自体ではなくそれを表現した二次的なものを指すようだ。だいたい哲学の本には似たような言葉が多く登場し、どれがどれだか分からなくなる。日本語の文章なのに意味不明なのは、それによるところも大きい。

 論理形式が明らかになれば、あとは真理操作によって事態をさらに多面的に表現する。真理操作とは否定や論理和、論理積のことである。「〜ではない」「または」「かつ」といったもの。真理操作は操作される側に左右されることなく、つねに一定である。否定は否定のまま世界に放たれる。さて、その操作される側のことを基底と言う。命題から基底がどのように与えられるかは普遍ではなく、経験による。そう、だいたいが経験に依存する。

 「どれだけのことが考えられるのか」という問いに対する答えは、私がどのような事実を経験しているのかに決定的に依存するものとなる。

 思考の彼岸は、その人の経験に寄ってまちまちである。それゆえ彼らは同じ言語を扱っていてもその意味は一人一人異なる。思考を展開するフィールドをウィトゲンシュタインは論理空間と呼ぶが、その論理空間では他者と自分を相対的に評価することはできない。そこには自分しか居らず、全人類に確からしい意味等は存在しない。これがウィトゲンシュタインの独我論である。本書はこのあと、真理操作を数や自然科学に適用し、最後には幸福等の倫理問題へ向わせる。そうして皆さんご存知のあの名言、「語り得ぬものについては、沈黙せねばならない」で終わりとなる。

 解説によって本書を読み進むための地図が出来上がった。次回からはこの地図をもとに少しずつ散策をしていく。

GOLDEN BEST

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