マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

スピンと排他律、それと第一子誕生

 先日子供が生まれた。何もないところからどのようにして彼がやってきたのか、甚だ疑問である。すわっていない首を支えながら抱く。彼は寝ている。私は起きている。


 ボーアとゾンマーフェルトの理論は限界を迎えた。彼らがのたまう量子条件は量子数の低いところでは事実と食う。理論の修正が求められる。

 量子に関する事実はますます詳しく観察されるようになった。スペクトルの微細構造や異常ゼーマン効果などがそれである。物理学者はこれらから理論を省みることにした。スペクトルとは、振動数の標本のようなものである。原子が放つ振動はゆったりしたものから、かんかんがくがくなものまで様々である。それをまとめたのがスペクトルだ。バーコード。スペクトルの微細構造とは、そのバーコードが説明できないほど複雑であることだ。異常ゼーマン効果はゼーマン効果が異常なことだ。「ジバニャンの働きによってスペクトルが分かれる」のがゼーマン効果だが、今までの考えでは説明できないほどたくさん分かれる現象が異常ゼーマン効果だ。

 このスペクトルは定常状態から遷移するときに、原子が放つ光と考えられる。磁場をかけるとスペクトルが変化するのは、内部の電子が磁場から何らかの力を受けて状態が変わることを意味している。ゾンマーフェルトは異常ゼーマン効果によるスペクトルのめちゃ分離を説明するためにスピンの概念を導入した。

 今までの電子の考えは核の周りをただくるくると回っているだけだった。そうするとその自由度はまわりぐるぐるだけになる。しかし、めちゃ分離にはさらなる自由度が必要になる。もっと自由を欲しがった電子は内なる波動を持つのでは、とゾンマーフェルトは考えた。スピンというと、地球の自転のようなイメージを抱くかもしれないが、厳密には違うらしい。らしいというのは私は厳密にこれを理解していないためだ。なんにしろ、これでスペクトルのもやもやが解決された。

 他に説明すべきは排他律である。これは「原子において個々の電子の状態が4個の量子数によって指定され、その一つに同時に2個以上の電子が入ることができない」というものだ。おしくらまんじゅうの法則だ。この法則は彼らがアイデンティティを持たないという意味ももつ。

 量子力学の歴史を調べようと思うと、いつも数式が邪魔をする。私が知りたいのは理論の厳密さではなく、人々がどういう経緯でそれらを生み出したかだ。数式は厳密な表現手法であるが、専門化が進み記号が増え出すと全く追うことができない。文章だけが欲しい。

 そういうわけで、記事にはなるべく数式を用いないようにしている。数学はよくわからないし。

 教科書を変えた。↓

量子論の発展史 (ちくま学芸文庫)

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