マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

ナポレオンとどんぐりコーヒー

 中学生の頃、私は塾に通っていた。といっても、都会のビルに入っているような大きな塾ではなく、個人経営の小さなものだ。それは中学校の校舎から歩いて十分ほどのところにあり、毎週水曜日になると私は近くのコンビニで菓子パンと野菜ジュースを買い、塾へ向った。そこには私を含めて約十五人ほどが通っていたが、そこまで仲がいい人は居らず適当な距離を置いて過ごしていた気がする。家屋は二階建ての古民家で、なにかの拍子で壁がパタンと倒れそうだった。ちょうどドリフのような。

 あそこには先生は二人いて一人は女で英語を教え、もう一人は男で数学を教えていた。二人は夫婦ではなかった。結局あの二人の関係は分からずじまいだった。男先生はときどき面白いことを言い、ときどきトランプゲームをしてくれた。絵札のみを使って相手と戦うゲーム。ナポレオンと言っていた。それが私にとってのナポレオンである。

 なぜ唐突に塾の話を始めたのかと言うと、今日はナポレオンからコーヒーの話に入ろうと思ったからである。ナポレオンは馬に乗ってポーズを決めているフランスの軍人・政治家だ。一八〇六年、彼は当時産業革命中のイギリスを倒すため、大陸封鎖令を出した。言葉上では大陸だが、実際に封鎖するのは海上である。大西洋と地中海のモノの行き来をストップ!させイギリスを弱らせようというインド人もびっくりの作戦だった。「ところで、海も封鎖されるとコーヒーも封鎖される。」まったくその通りだ。

 欧州にとって、コーヒーは自給ができない完全な輸入品である。カフェインを欲するヨーロッパ人はなんとかして代わりとなる飲料を開発しようとした。代用コーヒー戦争である。このあたりは筆者も筆が乗っていて、とても面白く読める。十八世紀にプロイセンで行われた代用コーヒー産業を見習い、地上のありとあらゆるものをコーヒーにしていくのだ。大麦、ライ麦、サトウキビ、いちじく、イナゴ豆、大豆、ドングリ、海藻、野生のスモモ、きゅうり、ひまわりの種……。しかし、どうあがいてもあのコーヒーの味には近づけなかったという。結果としてナポレオンの大陸封鎖は、その後の反ナポレオン運動の引き金となるのだが、筆者はその理由を「コーヒーが飲めなかったから」と帰結している。本当にそうかもしれない。

 ナポレオンの大陸封鎖令によって、代用コーヒーは生まれなかったが、そのかわりに代用砂糖が誕生した。ヨーロッパ人は砂糖の自給に成功したのである。これによって被害を被ったのは当時の砂糖輸出国であるブラジルだった。ブラジルはそれ以来、北米では決して生産が出来ないコーヒーの栽培に力を入れる。その後、スペインとフランスで戦争が起こり、西インドのコーヒーの供給がストップする可能性が出て来た。コーヒー大国ブラジルの誕生である。

 おわり。

ナポレオン (ビジュアル選書)

ナポレオン (ビジュアル選書)