マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

学生は有休休暇の夢を見るか?/イギリスとフランスとコーヒー

 まったく脈絡のないタイトルで申し訳ない。でも実際書き上げるとこうなってしまったのだ。サマーウォーズでも観ながらダラダラ読んでほしい。

 いくつかやることがあったので、今日は有給を消化した。銀行と役所へ行き、いくつかの書類を手に入れた後、近くの喫茶店へ入り四時間ほど本を読んでいた。学生と思われる方々を散見し、彼らはいったいどうやって有給をとったのだろうと不思議な気分になった。アイスコーヒーが注がれたグラスには、結露が汗のように出ていて、いくら拭いてもテーブルが濡れた。少しだけ雨が降った。行きがけに干した洗濯物のことが気にかかったが、すぐに止んだので「量子力学の誕生」を読み進めた。わけが分からなかった。

 前の記事の続き、コーヒーの本の話をしよう。ロンドンに初めてのコーヒーハウスが出来たのは、一六五二年のことだった。それ以来店舗の数は爆発的に増えて、一六八三年には三〇〇〇、一七一四年には約八〇〇〇に達した。ここから本書はコーヒーハウス文化の隆盛の原因を述べている。当時、市民たちは公私の中庸を求めていた。活版印刷の登場により知識の伝播速度は飛躍し、情報はより多く複雑になった。市民一人の脳みそでは抱えきれない問題やパッションがやってきた。誰かと何か大きなことをやりたい。その要望に応えるのは格式張ったパブリックではなく、秘密結社的な内輪社会であった。コーヒーハウスはその秘密基地の役割を担ったのである。

 沢山の衝動が集まった。新聞が置かれ、郵便制度が誕生し、株式取引所ができた。海外活動に伴う保険事業もそこで行われた。コーヒーによって人々の頭は冴えわたり、そこには酒に寄る酩酊では味わえない静かなパッション屋良があった。冷静な人々が集まると、そこは単なる多目的ルームではなくなり世論形成の場にもなり得た。政治的な思想を持つものが他の者を啓蒙しようと集合し、各々が議論を闘わせた。

 しかし、イギリスのコーヒーハウス文化は次第に衰退する。それが持つ機能が果たされ尽くしたこともあるが、最大の原因は女性の反対運動にあった。彼女たちの反対運動の表題は『コーヒーに反対する女性の請願。かの乾燥させ、衰弱させる飲み物の過度の使用によって彼女たちの○○(自主規制)に生ずる巨大な不都合を公共の思慮に訴える』である。要するにコーヒーによって夜の営みの回数が減ったと訴えているのだ。

 コーヒーは自然からその最良の宝を奪い、ラジカルな水分を干上がらせては、夫たちを去勢しさらに自分たちにもっとも優しい恋人たちを損なっています。

 そんなわけで、イギリスの国民的飲料はコーヒーではなく、紅茶なのである。

 一方で海を隔てたフランスでは、コーヒー文化が深く根付くことになる。これは宗教によるところが大きい。イギリスとフランス、どちらも主な宗派はキリスト教だがイギリスはプロテスタントでフランスはカトリックが強い。カトリックは婚前交渉が禁じられており、「ラジカルな水分」を干上がらせるコーヒーは好感が持たれたことは想像できる。

というのも、コーヒーは熱情を抑制し、根絶することなく調整し、消滅させることなく服従させるからである。それ故、両性の間には憎み合ったりしないための必要十分な情熱が残るが、しかし彼らは情熱的に愛し合ったりはしないであろう。

 コーヒーの隆盛が女性によって左右されると言うのも面白い。いつの世も女性は強い。昨今はIoTとかインダストリー4.0とか叫ばれているが、旦那の小遣いを掌握する妻のハートをキャッチしなければイノベーションは起こせない。

 楽しい有給だった。おわり。


コーヒーが廻り世界史が廻る―近代市民社会の黒い血液 (中公新書)

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