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マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

完成されたコーヒーは茶亭羽當にあった。

 松屋で昼飯を食べた後、近くの本屋で時間を潰した。この旅自体が無為な行為であるから、時間を潰すという表現はおかしいかもしれない。けれども実際にそうだから困る。本は買わずに電車に乗った。

 渋谷駅で降りた。人が多かった。道路はガンジス川のように広く、対岸へ渡るのに苦労した。大きな交差点を通過し、右に曲がり坂を上った。そこに茶亭羽當はあった。


 茶亭羽當は喫茶店だ。趣のあるドアを開けると、木製のカウンターが私を出迎えた。左手にはテーブル席がいくつかあった。店員は3名いた。人が良さそうな店主と良さそうな店員と、良さそうな店員がいた。私がおもむろに席に着くと、メニューを渡された。よくわからなかったので、とりあえずブレンドを頼んだ。本を取り出し読書を始めようとしたが、空気が張り詰めていてうまく進まない。その原因がカウンターの向こうでコーヒーを入れる店主にあり、彼の殺気にあると気づくのにしばらく時間がかかった。殺気は言い過ぎた。でも自分が緊張していたことは確かだ。

 赤色の陶器に注がれて、コーヒーがやってきた。この店では、店主が客の印象に合わせて食器を選ぶ。器はどことなく中華で、雷文で縁取られていた。龍が花を噛んでいた。どことなくではなく、明らかに中華だった。私が赤いシャツを着ていたからかもしれない。コーヒーを口に含んだ。

 何の新鮮味のない味だ。はじめはそう感じた。しかし、数秒経つとその奥深さに戦慄した。これは一朝一夕で出せる味ではない。強い苦味の中に軽さを内包していた。穏やかな香りのなかに、店主の情熱を垣間見た。全ての成分が研ぎ澄まされていて、これ以上ないほど密に集積していた。既に完成されていた。私が求めるドリップコーヒーのゴールがそこにあった。

 ふと気付いた。入店して三十分経つのに、誰も店から出ていない。客がいないわけではない。しかし、誰もがずっと長居をしている。時間帯のせいもあるかもしれないが、それでもこんな喫茶店はなかなか見ない。確かにここは居心地が良い。どこも気取った様子はなく、自然体で客を迎えてくれる。私たちは好きなだけ時間を使い、コーヒーやケーキ、友人とのお喋りを楽しむ。よい雰囲気だった。

 結局一時間ほど滞在してしまった。コーヒーは一杯800円だった。高い。けれど、また東京に来たらここに来ると思う。代金を支払うと、店主はにこりと笑った。

 彼の顔を思い出せない。

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