マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

一郎さんの後悔はみんなの明日につながる/「僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと」

 驚くほどネガティブなビジネス書だった。これには後悔しか書かれていない。すがりたくなるような強いフレーズはどこにもなく、元気がでてくるような明るいエピソードもない。だからこそ読む価値がある。

 著者の和田一郎、ICHIROYAと言えばはてなブロガーのみなさんはよくご存知、あの犬のひとだ。村長でもいぬじんでも、ズイショさんでもなく、ラブラドールのひと。

 彼のブログでは、仕事のことや家族のこと、英文を翻訳したものなど毎日なにかしら更新している。僕は「おぉ」とか「わぉ」とか「こいつぁすげぇや!」と思いながらスターをぽちぽちつける。先日、彼が本を出すことを聞いた。迷わずamazonで注文した。新聞の一面の広告欄にも載っていて、「ずいぶん遠くへいってしまったなぁ」などと感慨深い気分になった。近づいてもいない。

 本の内容は後悔に溢れている。勉強しておけばよかった、入社初日から突っ走ればよかった、社内の人にもっと関心を持てばよかった、などなど。タイトルには12のことと書いてあるが、掘り進めばもっと出てきそうな気配がする。文章の端々に過去の自分を猛省するイメージが映り込んでいる。僕はどちらかと言えば楽観的で過去を振り返らないタイプなので、一郎さんが述べるフレーズを注意深く読んでいった。

会社人生はマラソンのように長いゲームだ。そして長いゲームでは、時間の持つ価値を知り、それを味方につけた者が有利になる。

 なんだこれ、なんだこの歯ごたえ。モンサンミッシェルと言いたいような捉えようのない現実。原因のひとつは、会社人生という無限の広がりをもつであろう表現を、ゲームという均質画一無機的なものに置き換えているから。そして、もうひとつは「社会人は学生よりスパンが長い」という当たり前のことを再認識させられてどうしようとなっている僕そのものにある。

 会社人生。会社人生だ。僕は現在会社員なので会社人生を送っていることになる。だけれどもそのライフスタイルを違う言葉で表そうとしたことはなかったし、センター争いに参加した経験もない。そいつはきっと、帰り道にタイルの白いとこだけ歩くのと同じようなものだ。万人が認める明確な規準はないが、自分として負けられないラインがあり、それを必死に守り抜く。勝ち負けも自分が決める。それが悪いことか良いことかは分からない。でもなんだろうね、この歯ごたえ。

 どうやら、死ぬまでの時間は思った以上に長いらしい。学生生活は三年とか六年とか短いスパンで過ごしていくことが出来た。だから交友関係や環境は限定的で、それがどんなにひどくても、終わりをじっと待てばよかった。しかし、働き始めてからは違う。僕は今二十五だ。七十五で死ぬとしてもあと五十年残っている。人生の節目はいくつかあるだろうが、それでも今までよりずっと自由で大きくて長い。だからこそ年利1%で回しても投資は確実に身になるし、借金は雪だるま式に増えていく。地道な努力は実を結び、だらけた生活は身体をこわす。

 僕はもう少し時間に対して気を配らなければならない。「今!ここ!」だけではなく、もっと長い目でりんごの苗を植えていく。今日のおだちんよりも、三年後、八年後のももくりかきのことを考えよう。時間に対するルーズさというか、長期的おじいちゃん運用を身につけたい。

 この本を読んでも絶対うきうきする気分にはなれないし、やる気が満ちあふれることはない。後悔ばかりがつまった本である。しかし、教えの中で「〜してはいけない」というのは、「〜したほうが良い」よりもずっと素晴らしいエッセンスが込められている。伯楽の教えにもあるではないか。世の中には駄馬で溢れている。後悔スイッチが押しっぱなしになりそうな、しょうもない思想や習慣が数多くある。だからこそ、数少ない善良な市民を手にするよりも、悪玉コレステロールを押しやったほうが良い。

 そうして一郎さんの後悔はみんなの明日につながる。

僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと

僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと