マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

バランスが良いことと完成していることは違う。/「回転木馬のデット・ヒート」

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 僕がカーテンを開けると、窓には結露がびったりとついており、外の景色が夢の中の一部のような不思議な感覚に陥った。四時五十分にかけたアラームで、定刻通りに起床したがそのまま何もすることがなく、出勤前の貴重な時間帯を浪費していた。読書や創作活動等、もっと有意義にその時間を過ごしていれば僕の人生はおおむねよくなりそうだが、それを誰かが許さなかった。机の上は四日前の状態をなにひとつ抜け漏れる事がなく保ち続けていて、エントロピーは決して増大しなかった。拮抗状態を崩す勇気が持てず、今日も食卓用テーブルで適当な考え事をした。

 会社の昼休みに『回転木馬のデット・ヒート』を読んだ。村上春樹さんがいろいろな人の話を聞き、長編小説にはなれないネタを文章化したものだ。
 

 たとえば僕が小説を書くとき、僕は自分のスタイルや小説の展開に沿って、ごく無意識のうちに材料となる断片を選びとっている。しかし僕の小説と僕の現実生活は隅から隅までぴたりと合致しているわけではないから(そんなことを言えば、僕自身と僕の現実生活だってぴたりと合致してはいないのだ)、どうしても僕の中に小説には使いきれないおりのようなものがたまってくる。

 「おり」というのが分からなかったのでウェブ辞書で調べた。いろいろな意味が載っていたが、これがしっくりきた。

5 製本で、全紙1枚を印刷したものを16ページとか32ページとかになるよう折り畳んだもの。また、その作業。

おり【折(り)】の意味 - 国語辞書 - goo辞書

 大学のころ、僕は文芸サークルに所属していたが、その時に「おり」の作業があった気がする。毎月、各人の作品をひとつの小冊子にして大学構内にばらまく風習があった。小冊子にする際にたくさんの紙を「おる」のだ。僕は手先が器用ではなくその作業に相当な時間がかかっていたが、大先輩は十枚の紙をまとめてきれいにふたつ折りにしていた。

 そんな話はどうでもいいか。

 人々は少なからず「おり」を持っているが、誰もがそれをアウトプットできる能力があるとは限らない。しかし、村上さんの手にかかればそれらしいものがちゃんとできあがる。登場人物はちゃんと春樹作品の台本どおりのセリフを喋っていて、街の景色や雲の行方も不思議な力によって整形されていた。本を読んでいくと、現実と虚構のはざまを行き来しているようなアンバランスを感じてしまい、「もしかしたら他の作品も全て彼が見聞きした出来事なのかも」と考える。こわいこわい。

 定時で帰った。帰り道はいつにもまして完成された夕方だった。しかしそれはコップの縁までなみなみと注がれたコーヒーのように、いつ何時こぼれおちるかわからないような不安定さを持っていた。明日にはこの景色は壊れるかもしれない。そうしたら僕はどうやって生活をしようか。完成された夕焼けを背中に、完成された学生アベックが自転車に乗って僕の横を通り過ぎる。

 均一とか均質とか、調和がとれたとかバランスが良いとか、それらは完成とはほど遠い存在だった。完成は常に孤立しており、それは一点のみでギリギリの節度を保っていた。僕は五本ある指のうちのどれかひとつでそれらを崩していかなくてはいけない。積みすぎることはしてはだめなんだ。

お前は成功を積み過ぎた・・・!
勝つこと・・・
成功は必要だ・・・!
生きていく以上・・・
どうしたって「成功」は目指さざるを得ないっ・・・!
それはいい加減に生きてきた・・・
俺とて同様・・・!
何しろ死んじまうんだ・・・・・・
勝ってかないと・・・
だから目指す・・・!
目指すさ・・・!
それは仕方ない・・・
ただ・・・
俺は「成功」を少し積んだら
すぐ崩すことにしてきた・・・!
意図的に平らに戻すようにしてきた・・・

 アカギの言葉。


回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)

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