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マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

【再読】「どうやったら成功できるか」なんて、頭では分かってるでしょ?/「社会人のための勉強力の基本」【感想】

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 勉強は意味のない作業だ。社会人になっても四則演算以上の計算能力は必要にならない——電卓がやってくれる——し、歴史上の人物や炎色反応を覚えていてもそれらを使う機会はない。読み書きができ、人と話すことができればたいがいはそこで働ける。資格は持っていても損はないけれど、資格取得の労力に比べて手当の額が割り合わないため僕は学ぶ事をやめた。

 じゃあ意味があるものは何なのか、と聞かれれば僕は迷わず「他者に与えられるものがあるかどうか」と答える。勉強は所詮インプットでしかない。社会に散在している知識の搾りかすをかき集めて練り消しをつくっているだけだ。そこには自尊心以外の何も発生しない。悲しいね。

 多分に漏れず僕も練り消し職人の一人であって、MONOやまとまるくんをつなげては手元でころがしている。いつかはなにかをしでかしたい。そんな気持ちはあるけれど、気持ちはあるだけで何も進まず日めくりアニメのごとく日々が過ぎるのみだ。

 本の紹介をしようか。これはライフネット生命の岩瀬さんが、自身の勉強法をまとめた本だ。「スローイン、ファーストアウト法」と名付けられたその勉強法は、初期段階は負荷をかけず様々な角度から対象を観る事をこころがけ、勉強をはじめたら一点突破でペースを上げ、最後は「借りる力」「直感」
「対立する概念」を駆使して超加速で学習をすすめる、といったものだ。

 著者曰く、勉強を続けていかないとやりたいことが実現できないらしい。「そうなのかな」と思ったが、彼は僕が考える勉強の枠よりもずっと大きな枠を持っていることに気づいた。谷川俊太郎さんの詩に「なんでもお○○(規制事項です)」という強烈な作品があるが、岩瀬さんにおいては「なんでもお勉強」になるのだろう。僕がやりたいことは「ロボットをつくって米を食べること」だが、それに必要なプログラミングの知識、モノを売ってお金を得る方法を身につける事は、勉強の枠に入るようだ。

 彼は七章で、対立する概念を受け入れるためには視野を広げることが必要と述べている。視野を広げるには自分の評価軸を増やすことがいいのだとか。

 ひとつの評価軸ではなく、多面的な強さや豊かさを求めていくこと。そして、弱点や苦手なところは、他のもので補う。それが視野を広げていくことにつながるのです。

 視野を広げることが果たしていいのかどうか解らないが、ふと『ゲド戦記』第一作のオジオンの言葉を思い出した。

人は自分の行きつくところをできるものなら知りたいと思う。だがな、一度は振り返り、向きなおって、源までさかのぼり、それを自分の中にとりこまなくては、人は自分の行きつくところを知ることはできんのじゃ。川にもてあそばれ、その流れにたうとう棒切れになりたくなかったら、人は自ら川にならねばなぬ。その源から流れ下って海に到達するまで、そのすべてのものを自分のものとせねばならぬ。

 第一作のタイトルは「影との戦い」だ。主人公のゲドは得体の知れない影に追われながら旅を続けるが、オジオンのアドバイスを起点に逆に影を追うようになる。この話の影とは自分自身のことであり、影との戦いとはすなわち自分との戦いだった。

 僕は視野を広げるよりは、「自ら川にな」るの表現のほうがしっくりくる。視野とは、だれのものでもない自分の目で見える範囲のこと。ならば、視野を広げるにも限度があるはずで、「さあ、視野をひろげようぜ!」と目をいっぱいに開くよりは、自らを川とすること、すなわち影の部分を受け入れるほうが自然な動作になるはずだ。

 たぶん、答えはもう自分の中にあるはずなんだ。それを見ているかいないかだけの違いで。影とむきあう時間をしっかりととって、社会人生活を続けていきたい。