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マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

【書評】くしゃみでビショビショになった一万円札。/「学問のすすめ」

読書

 勉強は嫌いではない。むしろ好きだ。字を読むことや、長い間じっとしていることは苦痛ではなかった。学生の頃は嫌いな科目はなく、どれも興味を持ちながら学ぶ事が出来た。社会人になってからも読書のペースを落とさなかったためか、最近はいろんな知識がやっと統合されてきて、ひとつの智慧になりつつある。

 だからこそ不安になる。このまま普通の勉強を続けても、自分は何者にもなれないのではないか、と。実際そうなのだろう。どれだけTOEICのスコアを上げようが手当は増えないし、マクロ経済の観念を身につけても家庭のお財布事情は一向に変わらない。そして僕が求めたひとつの着地点が「よむ、かく、ものをつくる」なのだが、想いがめぐるばかりで何一つ形にはならない。

 こうして僕は本に逃げ込む。本は黙っていも向こうから語りかけてくるため、自分で考える必要がないからだ。これはこれと言われれば、額縁通りに受け取って、睡眠学習よろしくただ左耳から右耳へ単語をざあざあ流す。

そもそも人の勇力は、ただ読書のみによりて得るべきものにあらず。読書は学問の術なり、学問は事をなすの術なり。実地に接して事に慣るるにあらざれば、決して勇力を生ずべからず。

 『学問のすすめ』は、平民である福沢諭吉さんが地元に学生にむけて、これからの若者の心得を書いたのがはじまりだ。「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」は、人類皆平等を言いたいのではなく、「しかし、それでも格差が生まれるのは勉強をするかしないかが原因だ」ということを伝えるためだ。本書のメッセージは一身独立と実学主義であり、「自分の頭で考えよう」のちきりんを連想させる。

 そう、実学主義だ。彼は学問を「事をなす術」と称し、何かをなしとげるためのノウハウでしかないと論じている。学問をするだけではなく、さらに一歩を踏み出して、現実世界にの発展に関わるべきだと。

 僕はおもわずくしゃみをした。二十億光年の孤独にもそうだが、世界の発展というばかでかいスケールのためだ。見上げすぎて首の関節が痛くなりそうな話には、あるていど見切りをつけて臨んだほうがいい。僕は偉くはないし、頭も良くないし、きっとこの先も大きな事をせずに生きていくのだろう。でも、人の見えないところで小さな階段をつくり、一段一段ずつ登っていきたい。何に左右されることもなく、抗う事もなく、摩擦を考慮しない床のごとくするすると動いていたい。そのくらいなら出来ると思うし、人生も楽しくなるはずだ。

 とりあえず読書のペースは落とさないようにしよう。

学問のすゝめ (講談社学術文庫)

学問のすゝめ (講談社学術文庫)