リズムのない音楽なんて存在しない。心臓のない人間が存在しないようにね。彼は言った。だいたい十年くらい前の出来事だった。挽きたての珈琲豆をこれでもかというくらいヨーグルトにぶちこんでいたので、僕は少し気分が悪くなった。乳清でやや黄色がかったそれに、茶色の色素がじわじわと浸食していった。ふいに先日テレビで観た石灰の砂漠を思い出した。隆起した白色の岩が、辺りの砂によって削り取られて、ねずみおとしのような形になっていた。
『音楽の基礎』を読んだ。ブックオフで購入したので、前の持ち主によって線が引かれていた。太めの赤ペンが、まっすぐに文面をさらっていた。定規をあてながら慎重に読んでいた姿が見て取れた。なんだか安心した。この本は、「音楽の素材」「音楽の原則」「音楽の形成」「音楽の構成」の四つの章で分けられており、ひたすらに音楽について語っている。専門的な内容が多く理解できないところもあったが、楽譜の挿絵が多く、読むのにはさほど苦労はしなかった。
なんにしろ、リズムである。音のない音楽はあるが、リズムのない音楽は存在しない。
リズムはあらゆる音楽の出発点であると同時に、あらゆる音楽を支配している。リズムは音楽を生み、リズムを喪失した音楽は死ぬ。この意味において、リズムは音楽の基礎であり、音楽の生命であり、音楽を超えた存在である。
そこには、根源的ななにかがある。イデア的な真実が隠されている。涅槃はきっとリズムを帯びることでしか行くことはできない場所だ。生命の中心は心臓だが、その心臓の鼓動が二三拍子であることは、音楽にも影響を及ぼしている。複雑な拍子は不安を発生させ、単純な拍子は安心感を抱かせる。
散文的な内容になった。あとで書き足そう。
一体音楽の形成はどこから始まるのだろう。誰かの心臓の鼓動が、かすかに聞こえてきて、それに合わせて呼吸をしながら手を叩きまばたきをして、いくつかの音が重なり合ったのだろうか。なむなむと祈る隙間風ふくその瞬間に、涅槃を拾ったアゲハチョウが、ゆらゆらと浮き上がったからか。
だれも知らない。
- 作者: 芥川也寸志
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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