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マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

身から出たサビを落とす作業

 今日も一日が終わった。帰り道にはわだかまりを残した空気が充填されていた。じっとりしていてなんだか気持ちが悪かった。国境の南と太陽の西は、ともに途方もなく遠くのことを指している。しかし、実在するのは国境の南だけだ。太陽の西というものは、あるはずもなく、シベリアの住人はあてのない旅を続ける。僕が欲しいのはどちらだろう。

 何をしていたのか説明をするのとても難しい。アイスコーヒーをほどよい濃さに仕上げるのと同じくらい。

 磨いた。ひたすら磨いたのだ。それは生き物なのか物体なのか、はたまた手に取ることのできないものなのかは定かではなかった。しかし僕は磨いたのだ。母性原理という言葉を知っているだろうか。切削加工を行う場合、被削材は刃物の精度を上回ることはない。削られる相手は、削るものよりきれいに仕上がることができないのだ。子は母を超えることはできない。母性原理。

 「それじゃあなんで、僕らは石器時代の刃物を使っていないの」と疑問に思うかもしれない。答えはその刃物は切削、つまり削られてできたわけではないからだ。研磨。研削。磨かれたのだ。削ると磨くは運動の状態が異なる。境界を探るのは容易ではないが、削るのは線でとらえるのに対して、磨くのは面でとらえる。

 浮動状態で加工面自体によって案内され、加工精度は相対運動を与える工作機械の運動精度ではなく、加工されている面自体の精度によって決定される。これを浮動原理という。

 ははぁなるほどなあと思った。いったい何がふに落ちたのかは分からないがそのようになった。結局のところ、ぼくらは研磨されているのだ。生まれてからしばらくはカットされ続ける。そして、大体の形に落とされたら、あとは磨くだけ。そうして、前の時代よりも少し賢くなる。

 この話に着地点はない。ただ思いついたことを話しているからだ。