そこには何もない。なにかあるんだけれど、何もない。むつかしい言葉を知っていれば、はっきりと説明できそうな気がする。しかし私は知らない。言葉を持たないことは見えないことと同じ。分かっているのだろうか。
何かあるけど何もないとすると、私は何を以て何としたのだろう。力とか刺激とか、エネルギーを感じたのか。歩いている途中に突然体がねじりあがったとしたら、ちかくに穴が開いたりする。発音が分からない時は新しく言葉を作ってしまったほうがいい。頭のいい人はみんなそうしてきた。
『物理学はいかに創られたか(上)』を再読した。前半は古典力学の内容だったので、なんとかついていけた。しかし後半の場とかエーテルという話になると、論理に追いてかれてしまった。次のバスまでまだ時間があるのでしばらく待つ。
この物語の要点は、古い枠組みで表現できないことを新しい枠組みでむりやりでっちあげることにある。二つの物体に直接作用するニュートンの法則はすでに時代遅れになってしまった。マクスウェルの「場」は次のように説明されている。
ここでの出来事をあそこでの状態と結びつけるのではないのです。ここでの、そして現在の場は、極近所での、そしてすぐ以前の場に関係するのです。この方程式は、ここで現在起こる事を知った上で、ごく近くに、そしてすぐ以後に、何が起るかを予見させるのです。
自分と時間的に、空間的に離れた何かを結びつけ合うのはやめよう。私たちの有効範囲は手の届くところまでであって、ちょっと前の時間だけだ。心臓の音が周囲へ伝播する様にじっと注意をむけよう。もう遠くを見る必要はないのかもしれない。
しかし、ニュートンの法則が適用可能な場所ならば、それは使う事が出来る。手持ちのカードでまだ勝負ができるらしい。この世界がどんな決まりで廻っているのか、私は知らない。それゆえ本を読み、体験し、少しずつ頭を拡張させていく。
物理の歴史は拡張の歴史。
- 作者: アインシュタイン,インフェルト,石原純
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1963/09/20
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